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書籍 評論・読み物

カルロス・クライバー 上

ある天才指揮者の伝記

ヴェルナー 著/喜多尾道冬広瀬大介

定価
4,180円 (本体3,800円+税)
判型・頁数
4-6・512頁
発行年月
2009年9月
ISBNコード
9784276217942
商品コード
217940

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内容紹介

2008年初めにドイツで刊行された、指揮者カルロス・クライバー(1930~2004)の、おそらく初の本格的な伝記。世界が注目する天才指揮者でありながら、指揮台に立つ回数が極端に少なく、正規録音も20種程度しか残さなかったため、「クライバーがどこかのオーケストラを指揮する」というだけでも大ニュースとなり、多くのファンが彼の演奏会を待ち望むという状況が続いて、生前からその存在はまさに「神格化」されていた。本書は謎の多かったこの指揮者の生涯の足跡をできるだけ丹念にたどり、本人を直接知る人々から「クライバーの秘密」を多く聞き出すことで、その人となりを明らかにし、その芸術の源に迫った力作である。ドイツ連邦共和国元大統領リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーによる「序文」付き。

目次

序文 カルロス・クライバー、指揮界の輝く星  リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー

I 遅ればせの天才――両大陸での長い修業時代
 ベルリン 1930年――ある伝説の誕生
 ベルリンからブエノスアイレスへ 1935~1947年――両大陸の間で
 ブエノスアイレス 1948~1953年――水平線上の曙光
 ミュンヘン 1953年――オペレッタの修業時代
 ポツダム 1954~1955年――突然終りを告げたデビュー
 チューリヒ 1956年――父の死
 ウィーン 1956~1957年――指揮台に空きなし
 ザルツブルクとハンブルク 1957~1960年――幕間劇
 デュッセルドルフとデュースブルク 1957~1960年――ついにオペラを体験する
 デュッセルドルフとデュースブルク 1960~1962年――楽長への登用

Ⅱ 頑固な男――際立ち始める個性
 デュッセルドルフ 1962年――ラインのパリ
 デュースブルク 1963年――ラヴェルのバレエ音楽体験
 デュッセルドルフ/デュースブルク 1964年――ラインでのフィナーレ
 シュトゥットガルト 1964年――あるスキャンダル
 デュッセルドルフ/デュースブルク 1964年――ヴェルディを最後にラインを去る
 フランクフルト 1964年――成果につながらぬデビュー
 チューリヒ 1964/65年――反抗的な楽員にてこずる
 シュトゥットガルト 1965五年――「同世代の中で最も優れた指揮者」
 チューリヒ 1965年――バレエからの訣別とプラハでの研究
 チューリヒとシュトゥットガルト 1966年――《ヴォツェック》をめぐるスキャンダル
 ミュンヘンとウィーン 1967年――オペラのひと休み、演奏会で活躍

Ⅲ 不機嫌な男――芸術をめぐる必死の格闘
 シュトゥットガルト 1967年――競り合う二人の芸術家
 プラハ 1968年――父親の軌跡、ふたたび
 シュトゥットガルト 1968年――《カルメン》の拍手喝采
 ミュンヘン 1968~1970年 ナツィオナル・テアーターの旋風
 シュトゥットガルト 1969/70年――世界レヴェルの《トリスタンとイゾルデ》
 ミュンヘン 1970年――ハ長調の爆発
 ミュンヘン 1970/71年――《ヴォツェック》センセーション
 シュトゥットガルト 1969~1972年――仕事場への一瞥
 シュトゥットガルト 1971年――《エレクトラ》騒動
 シュトゥットガルト 1970年――またしても《ばらの騎士》
 シュトゥットガルト 1971/72年 《トリスタンとイゾルデ》をめぐる不和

Ⅳ 模範的な男――不滅の演奏
 ミュンヘン 1972年――「不滅」の《ばらの騎士》
 ケルン 1972年――父親の遺産
 ベルン 1972年――《トリスタンとイゾルデ》演奏会形式
 シュトゥットガルト 1972~1975年――ひとつの時代の終り
 ハンブルク 1971~1973年――カルロス・クライバーを求めて
 ドレスデン 1973年――初めてのレコード録音
 ハンブルク 1974年――辛い永遠の別れ
 ウィーン 1973年――父親の故郷で、熱狂の嵐
 チューリヒ 1974年――ふたたびスイスへ
 ロンドン 1974年――コヴェント・ガーデンへのデビュー

Ⅴ ワーグナー指揮者――挑戦の地バイロイト
 バイロイト 1974年――「緑の丘」へのデビュー
 ミュンヘンと東京 1974年――極東の魅惑
 ブラティスラヴァとイェーテボリ 1974年――ウィーン・フィル演奏会へのデビュー
 ウィーン 1974~1978年――ウィーン・フィルとのレコード録音
 ミュンヘン 1974~1975年――ほろ酔い気分の成功
 ミュンヘン 1975年――《椿姫》の障害
 バイロイト 1975年――「緑の丘」への帰還
 ミラノ 1976年――ようやくイタリアへ
 ミュンヘン 1976~1977年――プラシド・ドミンゴとスタジオに
 ミュンヘン 1976年――スヴャトスラフ・リヒテルとの共演
 バイロイト 1976年――「緑の丘」への別れ


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