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広瀬 大介

広瀬 大介(ひろせ・だいすけ)
1973年生。青山学院大学文学部比較芸術学科教授。著書に『リヒャルト・シュトラウス 「自画像」としてのオペラ──《無口な女》の成立史と音楽』(アルテスパブリッシング、2009年)、訳書にベルリオーズ、シュトラウス『管弦楽法』(音楽之友社、2006年)など。『レコード芸術』誌などへの寄稿のほか、各種曲目解説などへの寄稿・翻訳多数。 Twitter ID: @dhirose

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第49回 2つの音楽論集を読み解く――学問の世界の深さを味わい、研究領域を踏み越える取り組みを知る

  音楽に携わっているひとならばだれでも、いや、普段音楽とは無縁な生活を送っているようなひとであっても、きっと、こんな疑問をもったことがあるだろう。人類はいつ、どのようにして、音楽を持つに至ったのだろう、と。
 ひとが声を出し、言葉を用いて他者とコミュニケーションを取るようになる一方で、単なるコミュニケーションの伝達にとどまらない、感情の昂ぶりの結果として生まれ出る歌。きっと音楽はそのようにして生まれたに違いない、と想像をたくましくした経験を、だれもが持っているのではないだろうか。
 こうした分野についても、科学的な知見はきっと大きく進歩しているのだろうな、と想像はしていたが、今回『私たちに音楽がある理由(わけ)』をひもといてみて、自分のこんな素朴な疑問をもっと精緻に解きほぐし、あらゆる方面から考察が加えられている学問の世界の深さに、あらためて感嘆の念を深くする。
 第1部の各種論文を見るだけで、まずこの疑問が根本から解きほぐされるのを感じる。そもそも「歌はヒト以外のサルにも存在するのか?」、「トリはヒトの発する音楽に反応するのか?」、「ヒトはなぜリズム(拍節)を知覚し、それに同期できるのか?」、といった問いが積み重ねられ、動物全般において、我々が音楽と呼ぶものが、さまざまなコミュニケーションの手段として機能し、知覚可能であることが実証的に明らかにされていく。
 第2部では、人類学、認知神経科学、比較行動学、発達心理学などの周辺諸領域からあらためて「音楽性」とは何なのか、その本質的な問いが発せられる。第3部で、(第1部風に言うならば)「音楽」を獲得した幼いヒトが、自身の属する文化の中において、どのように社会とかかわっていくのか、社会とかかわりながら音楽を身に付けていくその過程が実例とともに示される。第4部では主に初等・中等教育の現場における音楽性の共有と発展について、やはりこれも実例とともにその可能性が語られる。すべてのジャンルに精通する読み手は少ないとは思うが、不案内な分野についてもいったん通読すれば、音楽を音楽として知覚し、その音楽とともに生きている自分のありようを、生まれたときから現在に至るまで追認できるような気分になるから不思議である。
 本書の編者でもあり、著者のおひとりでもある今川恭子氏は、26人にも及ぶ多士済々な著者陣をまとめあげ、結果としてひとつの「流れ」を持つような本に仕上げられた。実は、本書には、スティーヴン・マロック、コルウィン・トレヴァーセン編『絆の音楽性』(音楽之友社、2018年)というモデルが存在する。まったく同じ問題意識のもとに編まれた、B5版、600ページを超える分厚い大著に今川氏が惚れ込み、トレヴァーセンに師事していた根ヶ山光一氏とともに大著の飜訳を成し遂げた。今回ご紹介した『私たちに音楽がある理由(わけ)』もまた、この本が実現した精神を本邦でも実践しようとする試みであった、ということになる。いずれも気の遠くなるようなプロジェクトであることには変わりなく、これを世に送り出すまでに今川氏をはじめとする関係各位がどれほどの努力を払われたかは想像に難くない。
 普段、音楽そのものを生業としている評者であっても、これほどまでに心を衝き動かす音楽とはいったいどのようなものなのか、といった問いを真剣に考えることはあまりない。それを考えることがかなりの気力と体力を必要とする作業であるからに他ならないためだが、それに正面から取り組み、実証的研究を積み重ねながら、少しずつ音楽の本質へと近づこうとする研究者各位、そしてそれをまとめ上げる今川氏の努力にはあらためて敬意を表したい。
 研究領域こそ異なるものの、論文集として、もう一冊をご紹介したい。大学の世界においては、学恩ある教員が退職を迎える際に、その恩を受けた弟子たちが集まって、記念論文集を出版する、という習わしがある。これまでも多くの論文集を読む機会に恵まれたが、面白いことに、取り扱う題材がまったく異なっていても、その題材へのアプローチの方法であったり、あるいは論旨の積み重ね方であったり、あるいはもっと直接的な文体であったり、どこか弟子たちの書く文章には共通点が滲み出てくるのを、興味深く見守ることが多い。それはもちろん、その教員・師が弟子に対して、自分が信じる方法論による研究の手法を提唱するからではあるのだが、それが弟子の個性との相乗効果を生みつつ、さまざまに花開いていくその過程を間近にするのは、同じく弟子を持つ評者にとっても大変参考になる経験ではある。
 『音楽と越境:8つの視点が拓く音楽研究の地平』もまた、愛知県立芸術大学に長年奉職された井上さつき氏の退職を記念して企画された論文出版プロジェクトが、かたちになったものである。7名の弟子たる著者が選ぶテーマは多彩をきわめているが、そのいずれにも、そして本書の書名にも「越境」とあるとおり、ひとつの研究領域内で充足する論考にとどまることなく、従来の研究領域を踏み越える果敢な取り組みに挑んでいる。
 たとえば、七條めぐみ氏による「大正時代の日本におけるドイツ人俘虜の音楽活動」(第1章)においては、従来どうしても単独で注目されがちだったベートーヴェン《交響曲第9番》の初演にとどまらず、この音楽活動が大正期の日本において具体的にどのような洋楽受容をもたらしたのかが、大所高所から論じられる。その活動は日本にとどまらず、青島に至るまで拡がり、やがては上海楽壇における研究の必要性までが視野に入れられる。
 あるいは、「指揮者ヘルマン・シェルヘンの音楽思想」を著した山口真季子氏の論考(第6章)は、一見するとシェルヘンの活動を追いかけた実証研究の範囲内で論旨を組み立てているのかと思いきや、ロシアでの活動を通じて得た「新しい音楽」への考察と、それを活かしたシューベルト作品の再解釈・再創造へと、論旨が次々と発展を遂げていく。
 これらはすべて、自分の研究領域がその後の研究においてどのような発展の可能性を秘めているのか、そこに至るまで目配りを欠かさぬように、という井上氏の薫陶の賜なのだろう。師の教えが弟子へと引き継がれ、研究の歩みが一歩ずつ前進する。評者自身も師からの教えを弟子に引き渡す立場として、このようなかたちで後進の研究者を導いていけるのか、背筋を正さねばならない、そんな想いにとらわれた。

※この記事は2022年4月に掲載致しました。

ご紹介した本
わたしたちに音楽がある理由(わけ)音楽性の学際的探究
 

 

わたしたちに音楽がある理由(わけ)
音楽性の学際的探究

今川恭子 編著

人は普遍的に音楽をする生き物である、という言説を我々はいろいろなところで目にする。一見生存に必要と思われない音楽を、人はなぜもち続けているのか。我々はなぜ音楽をし、音楽を学ぶのか。この問いの答えを求める旅は、複数の仮説の森へと踏み込み、人の生き方や在り方さえも問うことにつながるかもしれない。多彩な学問領域の日本人研究者25名が集い、最前線の学術研究とみずからの研究成果とを豊富な図版を交えて紹介しながら、この探求の旅に挑戦する。『絆の音楽性』(原著2009/邦訳2018、音楽之友社)で提唱された「音楽性」概念の原点とその学際的展開の議論を発信し、音楽にかかわって生きる私たちのあり方、考え方を問い直す起点となろうとするのが本書である。
第一部は、個体発生と系統発生の両面から音楽性の原点に迫る。第二部は、音楽性を中心にして関連諸科学から考える。第三部は、生まれながらの音楽性から文化的実践としての音楽へとつなぐ。第四部は、さまざまな学びの場面における音楽性の育ちを見つめる。人が人として成長し、社会的な絆をもって生きることと、音楽をすることとのつながりを、音楽の外側からの視点と内側からの視点をクロスさせながら、照らし出していく。


絆の音楽性 つながりの基盤を求めて
 

 

絆の音楽性
つながりの基盤を求めて

マロック、トレヴァーセン 編/根ケ山光一、今川恭子、他 監訳

本書の原著者マロックは、トレヴァーセンが録り貯めた母子相互作用の音源から、音声分析の手法によって「コミュニカティヴ・ミュージカリティ(絆の音楽性)」という心理学上の概念を創出した。マロックが注目した26秒のやりとりのなかで、母子は規則正しいパルスを共同生成し、その音声を注意深く同期もしくは交代させながら、優雅なナラティヴを形成した。そして、このような共同生成は、人が経験しうる多くの事象に潜んでいる。
本書は、人のコミュニケーションのなかに存在する、生まれながらの音楽性の生物学的ないし心理学的な起源や、発達、癒しの機能について、さまざまな研究分野から考察する全27の論考より構成されている。全体は5部に分けられ、第1部は音楽性の起源と精神生物学、第2部は乳児期における音楽性、第3部は音楽性と癒し、第4部は子どもの学びにおける音楽性、第5部は演奏行為における音楽性を扱う。執筆者の所属はイングランド、スコットランドのほか、フランス、ポルトガル、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、スイス、ドイツ、ギリシャ、アメリカ、オーストラリア、と欧米各国に及ぶ。それぞれが各分野において独創的かつ学際的視点で研究を積み上げてきた研究者であり、音楽の喜びが生まれた直後から備わる人間特有の才能であり、集団の文化的意味の創造や言語の発明とその効果的利用にとって基本的重要性を持つという認識を共有している。
原著、原論文発表以来、「コミュニカティヴ・ミュージカリティ」は多くの研究者の共感を得て、発達心理学のみならず、文化人類学や言語学、脳科学、神経科学、周産期精神医学、小児精神保健学、PTSD/被虐待児音楽療法、音楽療法論、障害児教育、舞踊学、教室談話、教育法、即興、時間生物学、演奏行為論など、さまざまな学問領域でその検証、敷衍が展開されてきた。本書はその視界を一望するもので、翻訳が待たれていた。


音楽と越境 8つの視点が拓く音楽研究の地平
 

 

音楽と越境
8つの視点が拓く音楽研究の地平

井上さつき 監修/森本頼子 編著/七條めぐみ、深堀彩香、黄木千寿子、山口真季子、籾山陽子、大西たまき 著

「音楽に国境はない」という言葉があるように、音楽には「越境」という概念がつきものである。例えば一つの音楽作品が生まれ、演奏され、聴取されるとき、音楽は、国・地域の越境、時代の越境、ジャンルの越境など、多かれ少なかれ、さまざまな「越境」を経験する。 「本書に収められた8篇は音楽学の研究者による書き下ろしの論考で、直接的または間接的に「越境」と関係している。「越境」は近年、人文科学全体に大きな影響をもたらしている概念だが、それを音楽にあてはめてみるとどうなるだろうか。ここでは8人がそれぞれの専門に引き寄せて「音楽と越境」について考えている。どの論考も研究領域の最先端に位置づけられるものではあるが、それと同時に、読者が理解しやすいように留意して書かれている。」(「はじめに」より)
それぞれの章で、音楽の社会的・政治的・文化的コンテクストを重視し、学際的なアプローチが取られているのも特色。大学などのテキストにも最適。人名・曲名・事項索引付き。


 

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