第37回 音楽史に新しい視座を与える
大学の教員として、毎年同じ内容の授業を受け持つことは少なくない。とくに、芸術系の学問を専攻しない、他学科の学生も履修するような一般教養の「音楽史」などを教える場合は、学生に教えるというよりは、むしろ自分が昨年の授業からこれまで何を学んできたのか、最新の学説をよりわかりやすく伝えるためにはどうしたらよいのか、という点において、自身のありようが試されているような心持ちにすらなる。
個々の知識は、本や論文を読めばそれなりに手に入れることができる。だが、そうして手に入れた知識を、広い歴史的視野のもとに配置し直し、どのような意義があるのかを考えつつ定義する作業は、一朝一夕にできることではない。長い時間をかけてみずからの内面で涵養し、じっと芽が出て花が開くまでを待つしかないのである。授業でそうした個々の事象を語りながらそれらを音楽史の中へと位置づけていくときに、自分がどんなことを考えていたのかがまとまっていくことも一再ではない。
今回取り上げる三冊は、いずれの著者も、さまざまな経験を経た上で、みずからの専門から歴史的な広い視野を培い、新しい視座をあらゆるところから与えてくれるものばかりが並んでいる。その意味では、三者三様の「講義録」を読んでいるような気になる著作ばかりであった。
前世紀末から今世紀にかけて、古楽の発展とともにもっとも大きな視座の変更を迫られたのは、やはりバロック音楽の時代ということになるだろう。佐藤望『バロック音楽を考える』は、佐藤氏が常日頃から抱えている疑問をみずから解き明かし(その意味で通史的なアプローチではない)、全体としてバロック音楽というものの本質が浮かび上がるような見事な構成をとっている。長短調を中心とする調性音楽が確立する過程の中で、旋法と音律がどのような役割を果たしてきたのか、バロック期に活躍した女性音楽家の実像はどのようなものだったのか、バロック期における音楽知とその実践はどのような関係をもっているのか。いずれも著者みずからが優れた音楽学者として実績を積み重ね、授業で語ってきたのみならず、実際にオルガン奏者として、学生オーケストラを率いる指揮者として育んできた問題意識が、そのままのかたちで本の形に結実しているかのようであり、それ故に強い説得力をもって読み手に新たな視座を提供してくれることだろう。
アウグスト・ハルムは、今日ではほとんど忘れられてしまっている、19世紀末から20世紀にかけて活躍した音楽著述家である。音楽評論、音楽理論を語る際に、文学的な修辞によって語られがちな楽曲そのものの解釈を可能な限り廃し、純音楽的にそのありようを語ろうとした著作によって知られ、刊行当時はかなりの部数を重ねたという。この訳書によって、その著作は初めて日本の読者に紹介されたことになる。訳者の言葉を借りれば、「音そのものが孕む力やエネルギーのせめぎ合いのドラマとして楽曲の流れを捉え、楽音を諸音が互いに関連し合うひとつの有機体とみなすのがハルムの立場」ということになる。タイトルとなっている『フーガとソナタ』は、その理論的・音楽的完成者でもあるバッハとベートーヴェン、そしてその作品と密接不可分に結びついているという点も見逃せない。訳者も指摘しているとおり、話が次から次へと(その場で思い付いてしまったことを話さずにはいられないといった感じで)飛び移り、譜例も決して豊富に載せられているわけではないので、取り上げられている曲そのものの理解がある程度深くないと、本当の意味でハルムが説こうとする意図は伝わりづらいかもしれない。だが、音楽そのものを可能な限りその内面から抉り取ろうとする筆致を丹念に追いかけるならば、現代において再評価が進んでいるその理由も自ずと伝わることだろう。そして、おそらくは、訳者お二人の日本語によって、ドイツ語の原文よりも遙かに読みやすいものとするべく配慮されているであろうことも、特別に記して感謝せねばならない。
ポール・グリフィスの名を評者が初めて知ったのは、おそらくは20世紀音楽に関する概説書や作曲家の伝記を通じてであっただろう。音楽評論に健筆を振るいつつ、新作オペラの脚本をも手がけ、近年では溢れんばかりの才能の行き所をもて余しているようにすら見える。博覧強記の名にふさわしい著者による『文化のなかの西洋音楽史』(現在絶版)を通じて感じられるのは、音楽を「聴く」側に立つ筆者の視点から歴史が編まれていること。とくに録音の登場を通じて、作品が作曲された時代、それが演奏された時代、それを聴く自分が生きるいま、という三重の「時間芸術」を愉しむことができる現代にあって、音楽のありようがどのような変遷を辿ったかを切り取る著者の視点は独創的であり、切れ味も鋭い。原題は “A concise history of western music”、「簡潔な concise」と銘打っているが、読後にそのような印象を読み手に与えることはないだろう。むしろ、「時」の移ろいと、それを忠実に反映する鏡のような在り方としての音楽に焦点を合わせた本書ならば、「文化のなかの」西洋音楽史という邦題は、原題よりもより相応しいものと思えるはずである。
※この記事は2017年10月に掲載致しました。