第14回 人はなぜ「あがる」のか? 「あがり」は克服できるのか?
大学生の頃まで、通っていたピアノの先生が主宰する11月初旬の発表会が、恒例行事となっていた。温暖化が騒がれる今と違って、70年代、80年代の11月は寒かった。ホールには満足な暖房がなく、あちこちからすきま風が忍び込む。楽屋で出番を待つ子どもたちは、決して大きいとは言えない石油ストーブの周りに集い、その上に置かれた金だらいの中に張られたお湯で手を温めた。全員で手を突っ込むほどの大きさはないので、手を出している子どもたちは、当時発売され始めた最新の暖房器具(?)、使い捨てカイロ「ホカロン」をみんなで貸し借りし合いながら寒さを凌ぎ、出番を待っていた。
幼稚園児、小学生低学年だと、天真爛漫にはしゃぎまわりながら、自分の出番を待つ子が多かった(むしろ親のほうがガチガチに緊張しているのが常)。ストーブを囲みながら、動作がぎこちなく無口に押し黙る子は、小学生高学年から中学生くらいの子が多かったように記憶している。高校生以上になると十人十色。周りの視線など全く意に介さずに椅子の高さを延々と直し続ける肝っ玉の太い女子もいれば、右手と右足が一緒に前に出てしまうロボットのような男子もいた。発表会という一種の「極限状態」に置かれると、大人も子どもも、その地を顕わにする。
かく言う筆者はといえば、こんなことを横目で眺めていたくらいの性悪な子どもだったので(!)、舞台上で緊張する、ということがまるでなかった。間違えて当然、うまく弾ければ御の字、と子ども心ながらに思っていたように記憶している。もちろんうまく弾ければ嬉しく、間違えれば落ち込んだが、それを次の日以降にまで引きずるようなことはなかった。舞台上で演奏しているときの心理状態と、家でひとり練習しているときの心理状態が、さほど異なるということもなかった。
そんなわけで、そもそも「あがる」という精神状態の源泉がどこにあるのかが、筆者にはまったくピンとこなかったこともあり、今回送って頂いた4冊の本をつらつら読んでみて、新たに蒙を啓かれること大であった。この手の本が、よりどりみどりなことはもちろん承知していたが、自らの問題としてこれらの本を手に取ることはこれまでになかった(これからはさらになさそう)。それだけ、舞台に立つ、というプレッシャーを克服したいと思っているひとの数が多いということなのだろう。
ここに挙げられた4冊の本は、いずれもそんな悩みを抱える演奏家のために、(1)「あがり」の根本的な原因を説き、(2)その原因を身体的・精神的要因に至るまで細分化し、(3)原因をひとつひとつすりつぶすように克服していこう、というスタンスをとる、という大きな共通点がある。
(1)の根本的な原因を説くことについては、『演奏家のための「こころのレッスン」』の主張がもっとも簡潔にまとまっている。人間には、物事がどうあるべきかについて、ひとの概念や判断・連想が含まれており、「…すべき」「…すべきでない」という言い回しを好む「セルフ1」と、ひとりひとりの中に潜む限りない可能性の宝庫であり、自身で開発することのできる無限の源泉と呼ぶべき「セルフ2」が共存している。「あがる」という精神状況は、「セルフ1」が、自己のコントロールが効かなくなるまでに肥大し、「セルフ2」の可能性を限りなく圧迫してしまうために起きる、とするのが、「こころのレッスン」のみならず、ここに挙げられた本に共通する主張である。われわれの心の中には、二つの分裂した自我があって、それをコントロールできない状態=普段のパフォーマンスを最高に発揮できない状態、という定義をするところから、すべての説明が始まる。
(2)原因をできる限り細分化する、という点に関しては、ヴァイオリン教育者として大成したカトー・ハヴァシュの『「あがり」を克服する』がそのいい例となろう。「あがる」という精神構造を生み出す原因を、ハヴァシュはまず身体的側面、精神的側面、社会的側面の3つに切り分け、とりわけ前者2つについて、(3)それをひとつひとつ具体的に例示し、解決する方法を提示する、という方法をとる。身体的側面であれば、・楽器を落としそうになる・弓が震えてしまう・音程が外れる・ハイポジションとシフト、精神的側面であれば、・音量不足・速いパッセージが弾けない・曲を忘れてしまう、という諸点を図解入りで解説し、その解決策を図示する。いわば不安の原因を根こそぎ取り去ってしまおう、というわけだ。
演奏上のテクニックもさることながら、実際の本番における「パフォーマンス」をあらかじめ想定し、それを再現する環境を作ることで、あらかじめ心の準備をしておこう、という視点、いわば別の形で(2)の細分化を行っているのが、『声楽家のための本番力』。「なぜ自分は歌うのか」という根本的な動機づけに始まり、付録として添付されている各種チェック表、計画表の類を用いて、自らのパフォーマンスを細大漏らさず記録し、文字としてすべてを意識に前景化し、不安のもとを根こそぎ絶ってしまおう、という試み。これは、(3)細分化した事象に対して徹底的に答えを与える、というやりかたの典型的な例といえる。
『上手に歌うためのQ&A』は、これまでの3冊ほど「あがり」に着目はしていないものの、声楽家がベストコンディションで歌えるようにするために、声帯の構造から懇切丁寧に、問いと答えの形で丁寧に綴っている。基本的に声楽家を志す若者、あるいは声楽家として活動するひとたちに向けて書かれたものではあるが、「音楽的」であるとはどういうことか、イタリア語らしい発音について、本番当日に何を食べるか、など、歌うことを生業としない筆者のような読み手であっても、示唆に富むコメントが各所にちりばめられていて飽きさせない。この本はまさに(3)具体的な例示・ケーススタディ集であり、自分の必要とするところ、興味あるところを、拾い読みするのがよいのではなかろうか。
人によって「あがる」理由はさまざまであろう。それを精神的側面や身体的・技術的側面に切り分け、ひとつひとつ探していこうとする姿勢には、もちろん大きな共感を覚える。その原因を知ることはもちろん重要だと思うから。だが、「あがる」という心理的状況を本当の意味で理解していないであろう筆者でも、こういう切り分けが、はたして本当に「あがり」の克服につながるのだろうか、という一抹の疑問は残らないではない。「あがる」のが、何に対して不安を抱いているかわからない心理的状態なのだとすれば、こうして様々な原因となり得る因子を挙げていっても、最終的に残る「漠然とした不安」までをコントロールすることは難しいのではなかろうか。「あがり」の原因をすべて言語化し、意識に前景化する、というこれらのやり方は、あくまでも原因追及の手段であって、最終的な「あがり」克服のためには、もう一段ステップをのぼる必要があるように思われるのだ。
また、プロであれば、この演奏で成功したい、よりよいポジションを得たい、より高い収入を得たい、という社会的要因によって、身体的・精神的要因とはまったく異なる次元で「あがる」こともあるだろう。通常とは異なる精神的高揚感が、普段よりもさらに素晴らしいパフォーマンスを引き出すこともあるだろう。
「あがり」が演奏の習熟度に反比例して少なくなる類のものでないとするならば、結局のところ、それは「克服」するものではなく、むしろ「飼い慣らす」ようにしたほうが、結果的には良い演奏に結びつくのではないか、という気もする。当然そのことについても、これらの本では陰に陽に言及されてはいる。常人に倍する練習をこなし、あらゆる技術的難題を自家薬籠中のものとし、なおかつ自らのうちに住まう二人の「セルフ」を、いついかなる時にも飼い慣らすことのできる人が、超一流のアーティストとなっていくのだろう。われら凡人は、そんな強靱な「セルフ」を持つ人たちを教師として、そのノウハウを盗み取っていくことで、自らの「セルフ」を鍛錬していくしかない。はるか遠い道程ではあるけれど。
声楽家のための本番力 最高のパフォーマンスを引き出すメンタル・トレーニング
人前に出るとあがってしまう、演奏中に頭が真っ白になってしまう、練習では簡単にできていたことが、まったくできなくなってしまう……。自分の力を出し尽くし、最高の演奏を本番で成功させるためには、技術的な準備だけでなく、メンタル面の準備も必要になってくる。不安やあがり、集中力の乱れの原因を解説、その対策が具体的に挙げられている。また、本番の1ヶ月前、1週間前、当日、直前、演奏中、終った後、とそれぞれのシーンで、どのように「こころの準備」をすべきなのか、オペラ歌手パヴァロッティ等のコンサルタントを務めた著者が、丁寧に解説する。チャートやグラフ等を使い、自分に合った練習方法や対策がわかる付録つき。演奏会やコンクール、オーディションなどで、納得できる演奏をしたいパフォーマーすべてに贈る演奏者必携の1冊。