
2021年に開催された第18回ショパン国際ピアノコンクールは、日本からのコンテスタントの活躍もあり大変注目を集めました。2025年10月に本選が開幕する第19回コンクールも目が離せないですね。配信でも気軽に鑑賞できるので、日本からもエールを送りましょう!
目次
- 1. 課題曲投票(Coming soon...)
- 2. ショパコン鑑賞のお供におすすめ!
- 3. ショパン・コンクールと過去の受賞者
- 4. フレデリック・ショパンとは
- 5. 音楽之友社がお届けするショパンに関する書籍
- 6. 音楽之友社がお届けするショパンの楽譜
- 7. ショパン Quiz
1. 課題曲投票
Coming soon...
2. ショパコン鑑賞のお供におすすめ!
もっと聴きたい! さらに知りたい!
ショパン・ハンドブック
ショパン・コンクールをさらに楽しみたい方へ贈る一冊! PART1は、ショパンの生涯・人間像を知ることができるコンパクトな評伝。PART2では、2025年に行なわれるショパン・コンクールの全課題曲をポイントをしぼって解説。PART3では、新旧50人のピアニストがショパンへのあふれる想いを語る。
ショパン国際ピアノコンクール創立100年記念
ショパンとショパン・コンクール
1927年に始まったショパン・コンクールは、まもなく創設100周年を迎える。20世紀の往年のショパン演奏家として名を馳せた歴代の入賞者から現代の最前線までを紹介し、ショパン・コンクールをめぐる100年の歴史をたどる。そして作曲家の生涯を紹介しつつ、主要曲の名盤紹介を掲載、作品の本質に迫る。ショパン・コンクールと作曲家ショパン、その作品から演奏まで分かるダイジェスト的な1冊。
音楽家ものがたり ショパン
「題名のない音楽会」など数々の番組や演奏会を手がけてきた大人気の音楽構成作家、新井鷗子の伝記シリーズ。親しみやすく読みやすい文章で、ショパンの生い立ちや人柄、業績を知ることができる。まるでタイムスリップをして、その人生を隣で見ているかのよう。小学校3年生以上で習う漢字にルビ付き。
3. ショパン・コンクールと過去の受賞者

世界の音楽コンクールの中でも、特に名高いショパン・コンクールは、歴史も古く、また粒ぞろいの受賞者を出している点でも注目に値します。その創立は、1927年のこと。ポーランドの有名なピアニストであり、ワルシャワ音楽院の教授であったイェルツィ・ズラフレフが、ポーランド出身の天才ショパンを記念して、このコンクールをはじめました。以来、この催しは、5年毎に行われることになり、第3回の1937年までは順調に進んだものの、御多分にもれず、大戦のため閉鎖の憂き目をみることになりました。戦後、このコンクールが復活したのは、ちょうど、ショパン没後100年にあたる1949年でした。そして第5回目が1955年に開かれてからは5年ごとに行われ、1970年には第8回を数えます。歴史の長さのわりにしては、回数を重ねていないわけですが、この5年に1度という慎重なやり方は、優秀な人材を集めるためには役立ったと言えるでしょう。以前はショパンの誕生日とされていた2月22日という日が開会日でしたが、ショパンの誕生日が訂正されたのち、1970年からは命日の前後に会期をおいて10月に開催されています。
参考文献 )
成澤 玲子 世界の音楽コンクール 音楽之友社 昭和46年
ショパン・コンクールの過去の演奏は、こちらよりご覧いただけます。
過去のアーカイブ
第 1 回 1927 年から現在までの歴代の優勝者は、以下のとおりです。
第1回(1927年)
第1位 レフ・オボーリン(ソ連)
第2回(1932年)
第1位 アレクサンドル・ウニンスキー(ソ連)
第2位 イムレ・ウンガル(ハンガリー)#同点で、コイン・トスによって順位を決めた。
第3回(1937年)
第1位 ヤコフ・ザーク(ソ連)
第2位 Roza Tamarkina(ソ連)
Audience Award – 原智恵子
第4回(1949年)
第1位 ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ(ポーランド)、ベラ・ダヴィドヴィチ(ソ連)
第2位 Barbara Hesse-Bukowska(ポーランド)
第5回(1955年)
第1位 アダム・ハラシェヴィチ(ポーランド)
第2位 ウラディーミル・アシュケナージ(ソ連)
第10位 田中希代子(日本)
第6回(1960年)
第1位 マウリツィオ・ポリーニ(イタリア)
第2位 イリーナ・ザリツカヤ(ソ連)
第7回(1965年)
第1位 マルタ・アルゲリッチ(アルゼンチン)
第2位 アルトゥール・モレイラ・リマ(ブラジル)
第4位 中村紘子(日本)
第8回(1970年)
第1位 ギャリック・オールソン(アメリカ)
第2位 内田光子(日本)
第8位 遠藤郁子(日本)
第9回(1975年)
第1位 クリスティアン・ツィメルマン(ポーランド)
第2位 ディーナ・ヨッフェ(ソ連)
第10回(1980年)
第1位 ダン・タイ・ソン(ベトナム)
第2位 タチアナ・シェバノワ(ソ連)
第5位 海老彰子(日本)
第11回(1985年)
第1位 スタニスラフ・ブーニン(ソ連)
第2位 マルク・ラフォレ(フランス)
第4位 小山実稚恵(日本)
第12回(1990年)
第1位 該当者なし
第2位 ケヴィン・ケナー(アメリカ)
第3位 横山幸雄(日本)
第5位 高橋多佳子(たかはしたかこ)
第13回(1995年)
第1位 該当者なし
第2位 フィリップ・ジュジアーノ(フランス)、アレクセイ・スルタノフ(ロシア)
第3位 ガブリエラ・モンテロ(アメリカ)
第5位 宮谷理香(日本)
第14回(2000年)
第1位 ユンディ・リ(中国)
第2位 イングリッド・フリッター(アルゼンチン)
第6位 佐藤美香(さとうみか)
第15回(2005年)
第1位 ラファウ・ブレハッチ(ポーランド)
第2位 なし
第3位 イム・ドンヒョク(韓国)、イム・ドンミン(韓国)
第4位 山本貴志(日本)、関本昌平(日本)
第16回(2010年)
第1位 ユリアンナ・アヴデーエワ(ロシア)
第2位 ルーカス・ゲニューシャス(ロシア・リトアニア)、インゴルフ・ヴンダー(オーストリア)
第17回(2015年)
第1位 チョ・ソンジン(韓国)
第2位 シャルル・リシャール=アムラン(カナダ)
●第18回(2021年)のショパン・コンクール出場者・審査員へのインタビュー特集記事は、こちらから!
第18回(2021年)
第1位 ブルース(シャオユー)リウ(カナダ)
第2位 反田恭平(日本)、アレクサンダー・ガジェヴ(イタリア・スロベニア)
第3位 マルティン・ガルシア・ガルシア(スペイン)
第4位 小林愛実(日本)、ヤクブ・クシリック(ポーランド)
4. フレデリック・ショパンとは・・
●ショパンの出生(出身地、誕生日、家族構成など)
フレデリック・フランソワ・ショパン ( フランス語 Frédéric François Chopin 、ポーランド語 Fryderyk Franciszek Chopin ) は、1810年3月1日(誕生日については諸説あり)ナポレオン戦争の渦中に、ワルシャワ郊外のジェラゾヴァ・ヴォラ村で、フランス人の父ミコワイ・ショパンとポーランド人の母ユスティナ・クシジャノフスカの間に生まれました。 アマチュアながらフルートやヴァイオリンを愛する父と、ピアノと声楽を嗜む母という、音楽好きな家庭で育ったこともあり、ショパン自身も4歳よりピアノに親しむようになります。 兄弟には、3歳年上の姉ルドヴィカ、妹イザベラ(1811年生)、エミリア(1813年生)がおり、特に姉ルドヴィカとは強い絆で結ばれており、はじめてピアノを教わったのも、彼の死を看取ったのもルドヴィカと言われています。 ショパンの生まれた頃は、ナポレオン帝政の絶頂期にあり、当時のポーランドはロシア帝国の支配下にありました。幼少期は比較的裕福な家庭で生活していたとはいえ、1830年に祖国を離れて以来、故郷への想いを馳せながらも二度とポーランドに帰る事はできなかった、そんな難しい社会背景の下で、ショパンの作品は生み出されています。
●ショパンの生涯と作曲活動(恋愛事情など)
6歳よりヴォイチェフ・ジヴニーに師事し、本格的にピアノを習い始めたショパンは、翌年には最初の作品「ポロネーズ ト短調」を作曲し、1818年、ラジヴィウ宮殿でピアノ協奏曲を公開演奏すると、その卓越した演奏能力は瞬く間に注目の的となり、その名はワルシャワ中に知れ渡りました。
11歳の時には、65歳を迎えた恩師ジヴニーの誕生日を祝うために「ポロネーズ 変イ長調」を作曲しており、12歳のときにはヴィルトゥオーソで知られるフェルディナンド・リースのピアノ協奏曲を演奏し大成功をおさめるなど、貴族たちの家や宮廷での演奏会にたびたび招かれるようになりました。この頃より、ショパンはユゼフ・エルスネルから作曲の指導を受けます。
16歳の秋、エルスネルが校長を務めるワルシャワ音楽院に入学し、マズルカやポロネーズなどの作品を次々と作曲し、ショパンの個性と作曲家としての才能を存分に発揮しはじめました。
この頃、ショパンが学ぶワルシャワ音楽院で声楽を学んでいた美しい娘・コンスタンチア・グワトコフスカに恋をしたショパンは、その想いを込めて「ピアノ協奏曲 ヘ短調 (第二楽章)」を作曲しますが、内気なショパンは彼女に思いを伝えることはありませんでした。
卒業旅行で友人たちと音楽の都ウィーンの地で2回の演奏会を行い、いずれも好評を博したのち、ワルシャワの国立劇場でもピアノ協奏曲を初演し、大成功をおさめ、本格的にデビューすることになりました。
そして、ついに21歳の秋、ショパンは芸術の都パリに活動拠点を移す決意をしました。
ショパンがパリへ向かう途中、11月蜂起、ワルシャワ陥落の報を聞き、大きな衝撃を受けて「革命のエチュード」を作曲します。
7月革命の余熱が残り、政治的には大混乱のパリに到着したショパンですが、多くの芸術家からの刺激を受け、創造意欲を高め、これまでにも増して多くの作品をつくります。
また、大ホールでの演奏よりも、貴族や資産家などが集まるサロンでの演奏に手ごたえを感じたショパンは、空前のピアノブームにも後押しされて、貴族や富裕層の夫人や令嬢にピアノを教えながら、そのための練習曲を多数残しました。以降、ピアノ曲の作曲と演奏活動で華々しい活躍を見せていきます。
25歳の夏、ショパンはボヘミアの温泉地カールスバートで両親と再会し、3週間ほどを過ごしますが、これが両親との最後の別れとなりました。パリへの帰路、ポーランドで当時ピアノを教えていたマリアに再会し、2人は恋に落ち、パリへ帰る際「ワルツ第9番~別れの曲~」を寄贈します。
その後、ショパンは求婚しますが、ショパンの体調が優れなかったことなどが原因で、マリアの両親の許しが得られず、2人は別れることとなりました。
交流のあったフランツ・リストの愛人でマリー・ダグー伯爵夫人のサロンで、ショパンはジョルジュ・サンドに出会い、マヨルカ島で過ごします。第一印象こそ最悪だったといわれていますが、その後、体調を崩すショパンを、経済的にも精神的にも、献身的に支えました。
フランス中部の村ノアンのサンドの別荘に越し、体調も幾分か回復したショパンは、「ピアノ・ソナタ第二番~葬送~」、「マズルカ集 作品 41 」など、たくさんの傑作を生みだします。冬はパリへ生活の拠点を移し、ピアノのレッスンを行うという生活を続けながら、「英雄プロネーズ」や「子守歌」などの名曲も作曲しました。
しかし、サンドの娘のソランジュと若い彫刻家のオーギュスト・クレサンジェとの関係などを巡って、ショパンはサンドと口論になり、ついに2人の関係に終止符が打たれることになります。その後、ショパンの体調は回復せず、39歳の若さで他界しました。
参考文献)
小坂 裕子 ショパン:作曲家◎人と作品 音楽之友社 2004年
新井 鷗子 CD付き 音楽家ものがたり ショパン ピアノは歌う ぼくの心を 音楽之友社 2020年
5. 音楽之友社がお届けするショパンに関する書籍
ショパンについて知ろう
ショパンの作品について学ぼう
ショパンの奏法について知ろう
ドゥヴァイヨンならではのエチュードの効果的な練習方法やコツを習得できる!
さまざまな角度からショパンにアプローチ
mook
6. 音楽之友社がお届けするショパンの楽譜
ウィーン原典版
ウィーン原典版は、第一線の音楽学者と名演奏家の 共同作業から生まれた、理想的な楽譜です。
ユニヴァーサル・エディション(ウィーン)、ショット(マインツ)、音楽之友社が提携し、1973年より 日本語版の刊行を続けてきたウィーン原典版は、 21世紀に入ってなお、最も信頼される楽譜です。
作曲家の自筆譜や筆写譜、初版本、版下などを比較検討し、確実な出典に基づいて校訂・編集され、アシュケナージやエッシェンバッハ、クレーメル、ゲルバー、ブレンデルといった世界的な演奏家が、運指や解説を加えています。
正確なだけではなく、作曲家の意図がより深く理解でき、演奏に適した楽譜、それがウィーン原典版です。
ウィーン原典版ショパンの一覧へ
標準版
標準版ピアノ楽譜の特徴は、以下のとおりです。
①わかりやすく、使いやすい楽譜であること
②今日の視点で、どのような編集・解説が必要か、1点1点見直していること
③作曲家や指導者、演奏家など、第一線で活躍する音楽家が、作品の内容をわかりやすく解説していること
④楽譜からたくさんのイメージを読み取ることができるように、関連情報を多く盛り込んでいること
⑤作曲家の気持ちがもっと理解しやすくなるように、様々な工夫をしていること
標準版ピアノ楽譜ショパンの一覧へ
その他
ショパンの楽曲は『ノクターン op. 9-2』 『ノクターン遺作』『子犬のワルツ』op. 64-1、『別れのワルツ』op. 69-1の4曲を収録。 色々な曲を楽しみたい方におすすめ。
ピアノ名曲150選 中級編
チェルニー30番程度~40番程度
7. ショパン Quiz ~ショパンについてどれくらい知っているか、チャレンジしよう!~
