第29回 「調性音楽」を知る
筆者は大学で楽典を教えるようになってはじめて、それまで順調に学習してきた学生の大半が最初に行き詰まるのが、臨時記号で記譜された単旋律からその調性を導き出す、いわゆる「調判定」である、という事実を学んだ。音程であれば二つの音の関係を、調性であれば五度圏を中心とするそのありようをひとつの理論として教えられるので、学生の側も「暗記」しやすい。だが、調判定については、主音・属音・導音を見つけ出せ、とか、旋律的短音階の第6音、第7音の上行と下行の違いに注目しろ、とか、そのコツを教えることはできても、最終的には学生自らがその答えを導き出さねばならない。その一方で、普段からピアノやヴァイオリンなどの楽器に触れている学生ならば、楽譜に書かれた音楽を頭の中で鳴らすだけで、これらの理論やコツを一足飛びに超えて答えを導き出せることもある。調判定、という楽典における難関が別の意味で興味深いのは、音楽の「理論」と「実践」がはじめて融合するその瞬間を迎えるためでもある。
この調判定で用いられる単旋律、というのは、ほとんどが創作旋律だが、大抵において古典派的な音楽のふるまいを見せる。調性というシステム(という言い回しを、これから紹介する本の趣旨とはややずれるかもしれないが、他に適当な言い方もないので、ここでは敢えて用いよう)の変遷を歴史的に辿ろうとするならば、いま楽典で扱っている諸々の約束事が、ごく限られた時期の音楽にしか適用できない、ということを最初に断っておく必要もある。調性における実践だけを教えようとすると歴史や理論との関連をうまく扱えず、歴史や理論から調性を捉えようとすると、その実践的な側面を(好むと好まざるにかかわらず)ないがしろにしてしまうもどかしさからは逃れることができない。
おそらく、アンリ・ゴナールによる『理論・方法・分析から調性音楽を読む本』(訳:藤田茂)は、著者自身がこうした問題意識を常に抱えているところから出発した著作なのであろう、ということが窺える。それぞれの章は独立性が強く、相互の章にそれほど強い繋がりがない、というのも、おそらくはこの著作が教育現場で用いられる教科書としての使用を前提に置いている故と思われる。だからこそ、「理論」「方法」「分析」と調性における諸要素を分割して、それぞれの視点から叙述する、という方法をとっているのだろう。「理論」面については、たとえば第2章ではラモー、第7章ではシェンカーとシェーンベルクの理論を扱っていることでそれとわかる。「方法」と「分析」の境界は曖昧だが、第1章「音程と協和」第3章「短調論」第6章「協和と不調和、弛緩と緊張、安定と不安定性」が前者、第4章「数字付けと調性の諸機能」第5章「古典期の調性に潜むもの」あたりが後者ということになるだろうか。敢えて三つの要素をバラバラにして、扱う音楽の時代順に配列しているのも、調性というものの全体像をそれぞれの側面からまんべんなく理解してほしい、という筆者の願いの現れでもあるはず。
もっとも、先述の通り、それぞれの章は独立性が強いため、著作全体からひとつの主張が像を結ぶ、ということはなく、調性という「システム」全体が抱える現状とその問題点を個々の視点から考察する、という趣が強い。もちろん筆者にとっても、蒙を啓かれた指摘はいくつもあった。短調は調性のシステム全体ではどうしてもうまく捉えきれないものであり、第7音を長調と同様に導音として用いようとする無理な部分を抱えており、むしろ第6音から第5音に下行する導音を持つ、本質的には下行する方向性を持つ調性として短調を捉えたほうがよい、という指摘には(それが本来存在しないラモーの下方倍音理論から出発したものである、という理論的な欠陥を抱えつつも)頷かざるを得ない。また、調性音楽がその終焉を迎えようとする20世紀においては、そのシステムを全体として捉えようとするシェンカーやシェーンベルクのような音楽家が登場する。演奏の実践からその理論を構築したシェンカーが調性楽曲を基本的に一体のものと見なし転調するものではない、と考えた一方、教育者として後進の指導に力を注いだシェーンベルクが転調の代わりに「調域」という概念を提示し、主調からの逸脱それ自体が調性という磁場の内部で起きていることである、という総括を与えたのも、調性というシステムをそれぞれの視点から解釈しようとしたものとして非常に興味深い。
シェンカーが打ち立てた「前景・中景・後景」、あるいは「ウアリーニエ(根源的旋律線)」という独特の概念は、やがてヨーロッパから戦後のアメリカへとその場所を移し、流行することになる。ベートーヴェンの晩年のピアノ・ソナタを分析対象として扱ったシリーズも、第30~32番(作品109~111)の三冊を経て、ついに最後の第28番(作品101)へとたどり着いた(『ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第28番』ハインリヒ・シェンカー訳、西田紘子・堀 朋平訳)。難解かつ複雑な理論と記述の故に、日本ではごく一部の研究者以外に知られることのなかったその理論が、ようやくその全貌を現したことに対し、まずは訳者の皆様への感謝を捧げずにはいられない。この著作を本当の意味で理解するには、ベートーヴェンそのひとや音楽全般に対する深い知識はもちろんのこと、シェンカーが生きた20世紀前半のウィーンにおけるカオスのような文化とその社会へのまなざしも欠かすわけにはいかない。そして、これだけひとつの作品をバラバラにし、その上で新たに再構成してみせるその説得力は、他のどの理論家も持ち得なかった迫力に満ちている。一歩間違えれば独善にもなりかねないその理論を支えているのは、やはりその学識の豊かさ故なのか、それともやはり独善に過ぎないのか、筆者には判断がつきかねるところでもある。ただ、このようにして、楽曲構造をその極限まで細分化し、その構成要素をもう一度組み立て直すその手法が、動機労作を主体とするベートーヴェンの音楽にもっとも親和性が高かったことは間違いなく、シェンカーの理論自体がこのベートーヴェンの音楽を適切に説明するために生み出された、という側面があることは否定できないようにおもわれる。読めば読むほど、新しい発見を見出せる本は多くない。読む毎に、自分の音楽的理解力がどこまで成長したかをはかる試金石ともなってくれるだろう。
※この記事は2015年10月に掲載致しました。
調性音楽を読む本
フランスの学問的伝統に立ち、「調性音楽とは何か」を読者とともに見つめ直す思索の書。これから調性音楽の思索に入ろうとする者が、是非、知っておくべき基本的事項(音程と協和、長調と短調等々)が綿密に再検討され、そうした知識を踏まえ、ベートーヴェン、ショパン、シューマンの楽曲について、論理的・分析的探求がスリリングに展開される。読者は本書を通じて、感覚的理解と知的理解が橋渡しされる特権的な場所としての音楽、そしてそれを可能にする音楽の理論的・分析的考察の重要性を再認識するであろう。かのデカルトを生んだ国の著者ならではの、「数字付け」の規則の明晰な説明、反行短調から見た「ナポリの六」の斬新な解釈など、読みどころ満載。わたしたちにとって最もありふれた音楽でもある調性音楽を正面から取り上げた本として、音楽に関心のあるすべてのかたに自信をもってお勧めする。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第28番 op.101 批判校訂版
シェンカーによる「ベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタ 批判校訂版」シリーズ(全4点)、ついに完結!最終巻の本書は、第28番 op.101の批判校訂版(楽譜)、作品理解のための詳細な手引き等からなる。同校訂版は、当時それまでに刊行されていた校訂版と異なり、作曲者と直接かかわりのある資料を参照しつつ、随所で的確な判断を下している。しかも、作曲者の指示と校訂者の解釈が楽譜上で明確に区別されている点で、ビューローやリーマンのいわゆる「実用版」とは大きく袂を分かつ。手引きは、作品の構造に関する注釈や具体的な演奏指南、他の版への批判を含む。判断の根拠や思考の過程を示しながら展開される作品分析は、研究者はもちろん、演奏家にとって裨益するところ大と言えよう。