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広瀬 大介

広瀬 大介(ひろせ・だいすけ)
1973年生。青山学院大学文学部比較芸術学科教授。著書に『リヒャルト・シュトラウス 「自画像」としてのオペラ──《無口な女》の成立史と音楽』(アルテスパブリッシング、2009年)、訳書にベルリオーズ、シュトラウス『管弦楽法』(音楽之友社、2006年)など。『レコード芸術』誌などへの寄稿のほか、各種曲目解説などへの寄稿・翻訳多数。 Twitter ID: @dhirose

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第20回 一般読者に開かれる「対位法」の世界

 子供のときに、だれもが歌ったことのある《カエルの歌》。小さい頃、旋律を追いかけながら多くの人で歌い継ぐことのできるあの歌に触れるたび、どうしてずらして旋律を歌っているのに、一つの音楽として音が濁らずに聴こえるのだろう、どういう工夫が施されているのだろう、と不思議に思っていた。
 ひとつの旋律を、入りのタイミングを少しずらしつつ、完全に模倣するあの曲の形式を、音楽用語では「カノン」と呼ぶ(日本語では「輪唱」と訳されることが多い)。今回のテーマとなっている対位法という言葉を説明する際、まずはこの「カノン」からイメージを掴んで頂くのが、もっとも手っ取り早いだろう。すなわち、二人以上の人間が(「カノン」の場合ならば)ひとつの旋律を歌う際に、それがキレイに調和して聞こえるような音の並びを選ぶ技術、そしてその規則の総称を対位法と呼ぶのである。
 対位法の「位」とは、「点」のこと。英語ではcounterpointと呼ばれるこの言葉は、「点 point」と呼ばれる音符のひとつひとつを「対置 counter」する、という意味となる。複雑に絡み合う複数の旋律を多くの歌手がきれいに歌いあげるための技法として、教会音楽とともに発展してきたこの技法は、ルネサンス期にその頂点を迎える。声を美しく響かせるため、さまざまな規則によって厳しく規定されたその音の振る舞いは、16世紀に名作を生み出し続けた作曲家の名前を採って「パレストリーナ様式」と呼ぶこともある。またパレストリーナのみならず、それまでの音楽の発展を規則という形で紙の上に定着させたフックスの著作『パルナッソス山への階梯』(1725)によって、この作曲技法は理論的な完成を見た。
 その後の対位法は、バロック時代には、より器楽的な音楽に適した形へと発展を続け、ヨハン・ゼバスティアン・バッハによって、数々の芸術的なフーガ(という用語も、対位法の技法を駆使して作曲される楽曲形式のひとつである)として結実したのは読者の皆様もよくご存じだろう。18世紀に入ると、ひとつの旋律とそれを下支えするかたちの音楽(いわゆるホモフォニー音楽)が隆盛を極めたために一旦下火となり、旋律の連なりよりも、縦の和音の響きを組織化する「和声法」が理論的な完成を迎える。もっとも、対位法のほうも完全になくなってしまったわけではなく、晩年のモーツァルト、そしてベートーヴェンがあらためてバッハやパレストリーナの様式を学ぶことで再び注目を浴び、複数の旋律を効果的に組み合わせる方法の一種として、19世紀・20世紀に至るまで、主にドイツの作曲家によって使われ続けている。

 …という、いわゆる歴史や学問としての対位法をもう少し詳しく知りたい、という向きには、やはりその実例を豊富な譜例と共に紹介している著作のほうが読みやすいだろう。柳田孝義『名曲で学ぶ対位法 書法から作編曲まで』では、その対位法の実際を学ぶ前に、理想的かつ人の耳に残る名旋律がいかにして生まれるのか、その謎をまず解き明かしてくれている。取り上げられているのはモーツァルトやベートーヴェンに始まる18世紀以降の器楽による作品ばかりだが、たとえ楽器で演奏される旋律といえども、人の声で歌いやすい、動きの少ない、なだらかな音の並び(専門用語では順次進行と呼ばれる)が選ばれるのが基本であり、それをいかに外すか、意表を突くか、といったあたりに、大作曲家の力量があらわれる。モーツァルトの《交響曲第40番》KV500、第1楽章の冒頭旋律は、レ→シ♭、ド→ラへと上方へ跳躍する音程の他は、すべて隣り合った音ばかりを連ねる形で作曲されており、その衝撃が和らげられているわけである(13頁)。対位法という技法が、西洋音楽における旋律の形成に実際のところどのような役割を果たしているか、この本を通読すればそのおおよそのところを掴むことができるはずである。もちろんこの本にも、実際にこの技法を用いて作曲を志す人のために、実習課題はついているものの、もっと本格的に、作曲家を目指すような学生が「用いる」ための本というよりは、やはり対位法とは何かを知るための「読む」本としての比重が大きいようにおもわれる。
 その意味で、山口博史『パリ音楽院の方式による厳格対位法』は、作曲を志す学生が、多岐にわたる対位法の規則を見通しよく整理し、頭にたたき込むための実習を中心にした実践の書、といった趣が強い。もっとも、対位法における基本的な規則についても、これ以上ないほどわかりやすくまとめられており、これを「読んで」理解することも十分に可能であろう(著者の意図にはあまりそぐわないのかも知れないが)。さらにこの本には、これまで日本語の形で出版された対位法について取り上げた著作(一部未邦訳)を一覧として挙げ、異同のある規則についての一覧表までを添付してくれているのである(同書106~111頁)。ここでは音楽之友社の出版本で現在手に入るものだけを取り上げるが、山口本と同じパリ音楽院における教程を示した 池内友次郎『新版 二声対位法』(1965年初版)、山口本のモデルとなった『ノエル=ギャロン マルセル・ビッチュ(矢代秋雄 訳)対位法』(1965年初版)があり、さらにはパレストリーナに倣いつつ自らの方式を世に問う ホセ・I・テホン『パレストリーナ様式による 対位法 改訂版』(1971年初版)など、実習のための教科書に長い歴史が積み重ねられてきたことがわかる。実習のための用途を中心としつつ、実作品の用例を数多く取り入れた 長谷川良夫『対位法 線的作曲技法及びカノン・フーガ』(1955年初版)などは、「読む」ための著作としても十分に活用できるだろう。
 なお、山口本には記述はないが、本コラム第3回で触れた ウォルター・ピストン『対位法』も、実習用としての配慮をしつつ、様々な実例を交えた「読む」ための本であることを付け加えておきたい。筆者を含め、実際に対位法をマスターして作曲をする必要のない一般の読者に向けて、これまでは「奥の院」として閉ざされていた対位法の世界のありようを、できるだけわかりやすく示してくれる、こうした著書が数多く出てきたことに、時代の変化を感じずにはいられない。

ご紹介した本
パリ音楽院の方式による 厳格対位法
 

 

パリ音楽院の方式による 厳格対位法

山口博史 著

長らく出版されていない、日本人による「対位法」テキストの企画。読者対象は、音楽大学の作曲専攻、副科の1年生からである。著者は、パリ音楽院でアンリに対位法を学び、現在は国立音楽大学教授。長年学生に教えてきた経験から、実際の授業の内容に即した書き下ろしである。
初心者から上級者まで対応し、独習もできる。内容は、まず厳格対位法の実習から始まり、初級:2声対位法、中級:3声・4声対位法、上級:5声以上、二重合唱、転回可能対位法、カノン。続いて、厳格対位法の規則・定旋律・小史といった、今までガイドが少ない分野も収録。応用として、J.S.バッハのコラールとコラール前奏曲を扱うのが、最大の特色のひとつである。実習・知識・実際の楽曲への応用を網羅した一冊である。



 
名曲で学ぶ対位法 書法から作編曲まで
 

 

名曲で学ぶ対位法 書法から作編曲まで

柳田孝義 著

教員養成課程や音楽大学の通年30回の授業で基礎が身に付くように工夫された、はじめての実践的対位法教科書。対位法とは線の書法であり、和声法もその流れのなかで確立された、という認識を明確に持ち、古今の名曲を対位法的観点によって理解する。次に、二声対位法で基礎を修得し、定旋律を用いないさまざまな書法の習熟によって、対位法の骨格を修得する。
全体は「定義 → 譜例 → 書法の解説(禁則を含む) → 4~8小節程度の短い練習例題 → 参考実践例 → その解説 → 実習課題(実施はない)」という流れで構成されており、無理なく学習を進められる。第4部では、対位法的手法による作編曲の手ほどきもあり、吹奏楽や合唱指導の現場での活用も期待できる。



 
対位法 線的作曲技法及びカノン・フーガ
 

 

対位法 線的作曲技法及びカノン・フーガ

長谷川良夫 著

第一部は15・16世紀の無伴奏合唱曲にもとづく対位法。第二部は17・18世紀の音楽。第三部はカノンとフーガを中心とする模倣対位法を詳述。



 
新版 二声対位法
 

 

新版 二声対位法

池内友次郎 著

作曲を学ぶものが身につけるべき、対位法の第一歩を養うための、最も権威ある教本。豊富な範例と実習を通して正確な音楽書式をマスターできる。



 
対位法
 

 

対位法

ノエル=ギャロン マルセル・ビッチュ 著/矢代秋雄 訳

パリ音楽院名誉教授ノエル=ギャロンとその高弟ビッチュによる対位法の決定版。美しい範例を用いて対位法の真髄を的確に説く。



 
パレストリーナ様式による 対位法 改訂版
 

 

パレストリーナ様式による 対位法 改訂版

ホセ・I・テホン 著

旋法による対位法の研究を目的とし、そのもっとも純粋な形で示されるポリフォニー音楽の代表的な作曲家パレストリーナの対位法を究明する。



 
ピストン 対位法 分析と実習
 

 

ピストン 対位法 分析と実習

ピストン 著/角倉一朗 訳

バッハを中心としてコレッリからブラームスまでの器楽様式を対象とした自由対位法の修得をめざす教科書。実作品から抜粋した譜例を多数掲げ、親しみ深い名作において作曲家たちが実際に書いた対位法技法を理解することができる。各章末に実習課題がついており、大学のテキストや独習者に最適である。


 

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