専門書にチャレンジ

広瀬 大介(ひろせ・だいすけ)
1973年生。青山学院大学教授。日本リヒャルト・シュトラウス協会常務理事・事務局長。
著書に『楽譜でわかる クラシック音楽の歴史』『もっときわめる!1曲1冊シリーズ ③ ワーグナー:《トリスタンとイゾルデ》』(以上、音楽之友社)、『リヒャルト・シュトラウス 自画像としてのオペラ――《無口な女》の成立史と音楽』(アルテスパブリッシング)、『帝国のオペラ――《ニーベルングの指環》から《ばらの騎士》まで』(河出書房新社)、訳書にベルリオーズ、シュトラウス『管弦楽法』(音楽之友社)など。
さらに各種音楽媒体などへの寄稿のほか、曲目解説・ライナーノーツの執筆、オペラ公演・映像の字幕対訳を多数手がけている。
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第58回 音楽をもっと味わうための、4つの楽曲分析本NEW

 楽曲分析。この言葉を口に出すだけで、ある一定のひとからは拒否反応を頂いてしまうこともいまだに多い。音楽は自分の感性で愉しむものでは? 頭で考えてなにが面白いの? 仰るとおり。芸術を心から味わいたいと思えば、余計な理性などかなぐり捨てねばならぬのは自然な気持ちの発露だろう。
 評者が学生などに楽曲分析のなんたるかを教えるときに用いる比喩は、「作曲という作業は、建物をつくるための設計図を引くに等しい」というもの。ある日突然旋律がひらめくとか、ペンを執ればたちどころに曲ができあがるとか、作曲という作業、あるいはその所産として生まれる曲が、なにか人智を超えた特殊技能の持ち主によってこの世に現れる、といったイメージで捉えられているのでは、という気がしてならないのである。おそらく、モーツァルトなどの天才伝説が過剰に流布してしまっているせいだとも思うのだが。
 実際は、もちろんそのようなことはない。モーツァルトですら、音楽の全体像が突然降ってくることなどはあり得ない(おそらくモーツァルトが得意としていたのは、聴いた音楽を全体的構造として把握・記憶しておく能力であったろう)。西洋音楽は、いくつかのモティーフを基礎として成り立っている。モティーフとはなにか。文章に喩えれば、文章を細分化した際に、それ以上は分割できない、意味を成す最小単位としての音素の連なり、つまり単語にあたる。いくつかの音符の連なり、モティーフを繰り返し用い、文章(旋律・メロディ)、段落(楽曲の各部分)を形作り、煉瓦を積み重ねるが如く、建物としての音楽作品全体を、まさに「建設」していくのである。
 楽曲分析とはつまるところ、作曲家がひとつの建物をどのようにして組み立てていったのか、その過程を追いかけ、俯瞰することである。最終的に、音楽作品全体の「設計図」が思い描かれる。目の前にしている作品が、作曲家の単なる霊感の所産なのではなく、長年をかけて組み立て、「建設」した末にできあがった、壮麗な建築物なのだということを理解できるのである。

 今回ご紹介する、いずれも「楽曲分析」をその主眼に据える4冊の著作は、著者がそれぞれの方法で、作曲家の用いた作曲手法をあきらかにしようとしており、その結果としてできあがる「設計図」も、著者それぞれの個性に満ちている。
 ここではやはり、まずは沼野雄司『ファンダメンタルな楽曲分析入門』からひもとくのが良いだろう。なにより、沼野先生がご自身の大学の教壇で教えているそのままを書き起こしたかのような筆致による解説が小気味よい(本当はウェブ連載の単行本化、というのが信じがたい)。豪放磊落にして繊細でもあり、愉快にして清濁併せ吞む度量の持ち主でもある沼野さんと酒席をともにする機会も多かった(最近はちょっとご無沙汰ですが)評者などは、この本を読むと、その文章全編が沼野さんの力強い、元気の良い声で再生されてしまって、苦笑を禁じ得ない程である。
 もちろん、その著作は音楽に対する最新の知見と鋭い洞察に満ちており、その軽妙な語り口の中で次々と重要事項が登場するのだから油断ならない。この本ではソナタ形式のなんたるかについて多くの紙幅を割いているが、「ソナタ形式」なる考え方が、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン以後に生み出されたものであり、「形式」という考え方に分析する側が振り回されぬよう、最初に釘を刺してくれる。形式に従って作曲家が曲を作るのではなく、多くの曲の集積が結果的に曲の「容れ物」を作っていく、ということを知るだけでも、形式という言葉に対して何らかの拒否反応を抱いているひとにとってはある種の福音ではなかろうか。もちろん、20世紀以降の音楽を専門にされている沼野さんによって、ヴェーベルンを題材として12音音楽の基礎を識ることができるのも、得がたい経験となるはずである。

 多少は楽曲分析に心得があっても、機能和声・長短調の枠組みで書かれている作品ならばまだしも、やはり20世紀以降の音楽を分析するのはさすがにお手上げ……、というひとには、最近発売されたばかりの、パオロ・スサンニ、エリオット・アントコレツ(久保田慶一監修・桃井千津子訳)『20世紀音楽を分析する』をお勧めしたい。20世紀音楽にも、それ以前の音楽のような「すべての音関係を読み解ける理論」(12ページ)が存在する、それが「旋法性とインターヴァル・サイクル」(7ページ)だと主張する。理論そのものが(簡単とは言わないが)それなりに単線的に理解できるので、順を追って読み進めれば、理解そのものは難しくない。これを20世紀の曲すべてに応用できるのか、という疑問はさておき、とりわけラヴェルやバルトークの作品を分析するには有効な手段だろう。

 ソナタ形式はもちろん、変奏曲、ロンド、フーガなど、古典的な楽曲形式のありようを、良く識っている、耳馴染みの曲を通じてマスターしたい、というひとには、柳田孝義『名曲で学ぶ 楽式と分析』がうってつけだろう。著者による「名曲で学ぶ」シリーズはすでに『和声法』『対位法』があるが、本書はさらにかゆいところに手が届く、といった緻密さを極限まで追い求めている。作曲家が自身の脳内に溢れるデータベースを縦横に駆使している感のある筆致は、純粋に読み物として面白く、ウォルター・ピストンによる『和声法』『対位法』『管弦楽法』を読んでいるときと同種の驚き・興奮を感じることができる。

 楽曲分析において、「リズム」は音楽のもっとも重要な要素のひとつでありながら、正面切って取り上げられることが少ない。リズムだけに注目して一書を編んだ、クーパー、マイヤー(徳丸吉彦、北川純子 訳)『新訳 音楽のリズム構造』は、その意味においてたしかに需要のあるジャンルということになるだろう。リズムとはなにか、という定義に始まり、韻律論の基本リズム(英訳のアイアンブ、トローキー、ダクティルなどがそのまま使われているので、文学や詩学の世界で常用されるヤンブス、トロヘウス、ダクテュルスといった訳語とはすぐに結びつかないが、このあたりは訳者あとがきを参照されたい)から論を発展させていく。そのお陰で、これを積み重ねることによって西洋における小節の発想が生まれたのだな、と自然に理解することができる。本書では、リズムが周期的な拍節を刻むのみならず、音楽に一種の「グルーピング」を施すものとして機能する、という指摘こそがもっとも重要なのだろう。リズムについて考察するときにはかならず引用される古典的名著でもあるので、今後も長らく読み継がれていくはずである。

 そして、最後までこの稿を読んで下さった皆さまへ、評者から最後のお願い。こうして皆さまの脳内に、作曲家の描いた「設計図」が曲がりなりにもできあがったら、その音楽を聴くとき、演奏するときには、それらを一切合切忘れることを強くお勧めしたい。自分で作曲する際であっても、それらは一旦忘れてしまってよいだろう。もちろん、描かれた「設計図」どおりに作品が鳴り響くのを聴くのは、とてもエキサイティングな経験であり、新しい世界が拡がる愉しみを覚えることができるだろう。だが、一旦脳内にできあがった「設計図」を、意識の外に追い出したとしても、その「設計図」によって更新された自身の音楽への接し方そのものは残り続ける。虚心坦懐にその音楽に向かい合えば、またあらたに、音楽に向かい合い、その音楽に心動かされる瞬間が訪れる。作っては壊し、作っては壊し、を繰り返していけば、音楽に対する自身の感受性そのものが、以前とは比べものにならないくらい拡がっていることを実感できるはずである。

※この記事は2024年7月に掲載致しました。

📖 今回のコラムで紹介された書籍

 

『ファンダメンタルな楽曲分析入門』

沼野雄司 著


 

『20世紀音楽を分析する』

パオロ・スサンニ、エリオット・アントコレツ 著/久保田慶一 監修・訳/桃井千津子 訳


 

『名曲で学ぶ 楽式と分析』

柳田孝義 著


 

『新訳 音楽のリズム構造』

クーパー、マイヤー 著/徳丸吉彦、北川純子 訳


 

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