広瀬 大介(ひろせ・だいすけ)
1973年生。青山学院大学教授。日本リヒャルト・シュトラウス協会常務理事・事務局長。
著書に『楽譜でわかる クラシック音楽の歴史』『もっときわめる!1曲1冊シリーズ ③ ワーグナー:《トリスタンとイゾルデ》』(以上、音楽之友社)、『リヒャルト・シュトラウス 自画像としてのオペラ――《無口な女》の成立史と音楽』(アルテスパブリッシング)、『帝国のオペラ――《ニーベルングの指環》から《ばらの騎士》まで』(河出書房新社)、訳書にベルリオーズ、シュトラウス『管弦楽法』(音楽之友社)など。
さらに各種音楽媒体などへの寄稿のほか、曲目解説・ライナーノーツの執筆、オペラ公演・映像の字幕対訳を多数手がけている。
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第59回 実像がわかりづらかった作曲家、プロコフィエフに迫る4書
19世紀後半、音楽における高等教育がロシアに根付き、19世紀末から20世紀はじめにかけて、突然数多くの音楽家が輩出した。その中でも、ロシアのみならずヨーロッパ、アメリカにも名を轟かせ、後世に遺る名作の数々を生み出した4人の作曲家は、生年がほぼ10年ずつずれている。セルゲイ・ラフマニノフが1873年、イーゴリ・ストラヴィンスキーが1882年、セルゲイ・プロコフィエフが1891年、ドミトリ・ショスタコーヴィチが1906年である。
20世紀ロシア、というよりはソビエト連邦に故郷を持つ音楽家にとって、そのソビエト政府による表現の自由の制限は、どのようなかたちであれ受け容れざるを得なかった。ソビエト連邦諸国、とくにロシア出身の作曲家たちは、祖国に戻るか、外国にとどまるか、という決断によってその後の命運が分かれている。プロコフィエフの場合、ロシア国内にとどまった後半生はもとより、世界をまたにかけて活躍した前半生についても、これまで日本語でまとまったかたちで読める機会が少なかったこともあり、ストラヴィンスキーやラフマニノフに比べても、そして『証言』など数多くの言説が積み重ねられているショスタコーヴィチに比べても、その活動の実態がわかりづらかったのではないか。そもそも、これまでプロコフィエフについて一冊にまとまった、日本語による伝記は、チェロ奏者井上頼豊による1968年のそれがほぼ唯一の存在であり続けた。
そんな状況が、最近、立て続けに出版された二冊の著作によって、大きな進展を見せている。プロコフィエフについて長年研究を続けられた菊間史織さんが、2021年に世に問うたのは、『「ピーターと狼」の点と線:プロコフィエフと20世紀 ソ連、おとぎ話、ディズニー映画』。おそらくプロコフィエフの作品のなかでも、もっとも有名なもののひとつ、《ピーターと狼》について、さまざまな切り口から親しみやすく、語りかけるように、若い世代のこどもたちにもわかるよう、かみ砕いた口調で自在に書き継いでいる。説明の時間軸は行ったり来たりを繰り返してはいるのだが、この作品が生まれた背景だけでなく、作曲家のキャリア、ソ連政府における芸術の在り方、ディズニー映画とのかかわり、そのうえで《ピーターと狼》がどのような背景から生まれたのかが解き明かされるので、まるでミステリーを読み解くような臨場感があり、一気に読み通せてしまうだろう。この有名な作品だけでなく、プロコフィエフ自身がどのようなひとだったのか、どんな曲を作ったのか、どんな立ち位置にあったのか、大きな見取り図を書いたようなこの一冊で、きっと多くのひとの脳内も整理されるはず。
そのうえで、おなじ菊間さんによる労作、いまや音楽之友社の看板シリーズとも言うべき「作曲家◎人と作品」『プロコフィエフ』を通読すれば、これまで散漫なイメージ(と評者が思っていただけかもしれないが)に終始していたこの作曲家の全体像が、いよいよ具体的に浮かび上がる。若き日に続いた苦悩と挫折(ディアギレフに委嘱されたバレエの上演拒否、恋人ニーナ・メシチェルスカヤとの破局)、そしてこれから本格的に活躍をはじめようという20歳代に世界大戦が重なってしまったことは、プロコフィエフの不運であった。
菊間さんによる本書の筆致は、モスクワに居を構える1936年を境として、それ以前がプロコフィエフにとって幸せで、それ以後が不幸だった、とする、「西側」的な捉え方を払拭することにその最大の特徴がある。先述の井上頼豊による伝記では、逆にモスクワ時代以降を幸せととらえる傾向もあり、その歴史的叙述から受ける印象はまったく異なるだろう。モスクワ時代以前も、以後も同様に、歴史の荒波に翻弄されつつ、そして母や前妻・後妻の愛に支えられつつ、世界を駆けずり回るように活躍し、絶え間なく作曲を続けた、あまりにも勤勉な音楽家の姿が立ち上がる。スターリンと同じ日に亡くなった、という逸話ばかりが有名ではあるが、享年61、というのは少し意表をつかれた。その作品数、生産性を考えれば、もっと長生きしていてもおかしくないイメージであったから。
同書の特徴である「生涯編」「作品篇」に分けられた記述では、前者はもちろん、後者の充実ぶりも目を惹く。オペラ・バレエ作品の作曲の経緯、あらすじ、作品の意義など、簡にして要を得た記述は、この音楽家の活動全体を見据えた著者ならではのバランスの良さに貫かれ、読者もまたひろい見通しを得ることができるはず。もちろん、個々の作品の音楽をより詳細に知りたい場合は、ロングセラーというべき『プロコフィエフ』(作曲家別名曲解説ライブラリー)が引き続き読者の助けとなるだろう。
菊間さんの「作曲家◎人と作品」においては、2010年に初版が発売された『プロコフィエフ 自伝/随想集』(田代薫 訳)で読めるエピソードについてはそちらに譲り、あまり重複しないようにした、という。一冊のコンパクトな書物としてまとまっている、作曲家自身の言葉を集めた書物というのは大変貴重であり、他の実例が少ないだけに、すでに4刷を重ねているというのも肯ける。
個人的にもっとも興味深いのは、外国人として20世紀前半のヨーロッパ楽壇を眺めるプロコフィエフの視点である。「パリの音楽生活の断面図」(1931〜32年)と題された小文においては、同地のオーケストラが多すぎるほど存在し、独自に運営され、お互いに競争し、邪魔し合っている。日曜の昼間に6つもの演奏会が重なるので、どれも満席にならない。音楽家の賃金は低いが演奏レヴェルは高い。どんな現代音楽にも対応できる能力を持っているが、リハーサルは最小の回数に抑えられるので、新しい作品の演奏はたいてい大雑把で、何年も繰り返して演奏された作品だけがまともに聞こえる、云々(159〜160ページを要約)。これを現代の大都市に置き換えてもそのまま通用してしまうのではないか、と思うほどであり、音楽界の構造がいまも昔も変わっていないことが窺える。
最後に、評者が昔からプロコフィエフに寄せている一方的な親愛の情を披瀝することで本稿を締めくくりたい。プロコフィエフは若い頃からチェスに夢中になり、プロ級の腕前を誇っていた。元世界チャンピオンのキューバ人、ホセ・ラウル・カパブランカとの交流を綴った「観客のメモ」(1936年)と題する小文は、音楽を離れたときのプロコフィエフの実像を知る上でも実に興味深い。ダヴィッド・オイストラフとのチェス対決のポスターまで掲載されている。評者は将棋をこよなく愛するが、残念ながらあまりに弱すぎて、世界チャンピオンはおろか、プロに平手(ハンデなし)で挑戦するなど考えも及ばない。その一事をもってしても、プロコフィエフは評者にとって尊敬に値する存在であり続けている。
※この記事は2024年10月に掲載致しました。