『バイエルの謎』その後~無自覚な音楽史
安田 寛  

安田 寛(やすだ・ひろし)
1948年山口県生まれ。1974年国立音楽大学大学院修士課程修了。2001年より奈良教育大学教育学部教授。2013年定年退職し現在奈良教育大学名誉教授。専門は、19~20世紀の環太平洋地域の音楽文化の変遷について。2001年放送文化基金賞番組部門個別分野「音響効果賞」、2005年社団法人日本童謡協会日本童謡賞・特別賞を受賞。主な著書に、『バイエルの謎 日本文化になったピアノ教則本』(音楽之友社、2012年)、『『バイエル』原典探訪 知られざる自筆譜・初版譜の諸相』(音楽之友社、2016年)などがある。

小野 亮祐  

小野 亮祐(おの・りょうすけ)
1976年生まれ。広島大学大学院博士課程修了。レーラインの鍵盤楽器教本の研究で博士(学術)を取得。DAADドイツ学術交流会奨学生(2005/06年)として、ライプツィヒ大学博士課程音楽学専攻に留学。専門は音楽学、音楽教育史。2011年より北海道教育大学釧路校准教授。2016年、外国人客員研究員としてライプツィヒ大学音楽学研究所にて研究に従事。著書に、『『バイエル』原典探訪 知られざる自筆譜・初版譜の諸相』(音楽之友社、2016年)がある。日本音楽学会、日本音楽表現学会、日本音楽教育学会、音楽教育史学会、各会員。

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 世界的ベストセラーピアノ教則本が語る音楽史のリアル

※全31回の連載をもとに、加筆・変更・再構成して書籍化。
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第1回 はじめに―バイエルの謎とピアノ奏法の「絶対矛盾」

 『バイエルの謎』(音楽之友社、2012年)は、バイエルについてはじめて書かれた本であった。なぜこれまでバイエルについて書かれなかったのだろうか。その理由はいろいろあり、本でもその理由についてはしっかり書いたつもりである。でも、そこに書かなかった大きな理由がまだあるとするなら、それは実は音楽の歴史について書かれた本というものがそもそも存在しない、という常識に反する事実を指摘しなければならない。確かに本屋に行けば、たくさんの『音楽史』はある。大半は西洋人が書いたものである。そのどれを見ても、しかし私には音楽史には見えない。それは偉人伝である。少なくとも18世紀と19世紀のヨーロッパの『音楽史』に書かれているのは、なんだかんだいっても、ほんのわずかな大作曲家と目される数人の列伝でしかない、と私には思える。だからそうした『音楽史』にはバイエルのようなマイナーな編曲家は登場する余地はまったくない。最近、ようやく本がでたブルクミュラーも同じような扱いになる。
 とは言っても偉人伝は私も嫌いではなく、むしろ大いに楽しませてもらっている。それに普段コンサートで聞く音楽はほとんど彼らの音楽で占められているので、予備知識として大いに重宝している。ただ困った面もある。例えば、ピアノ教則本の歴史を知りたいと思っても、そういった偉人伝音楽史もどきでは、ほとんど何も知ることができないのである。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンのピアノ作品にたどりつくまでお世話になるのは、バイエルやブルクミュラーである。そして偉人列伝からはずれるカール・チェルニーである。インヴェンションのレベルになってようやく偉人の一人バッハの教則本にたどり着く。細かいことを言えば、これはピアノ教則本ではなく、作曲のためのアイディア集である。言ってしまえば、バッハの時代の「音あそび集」である。でもそろそろ偉人列伝ではない音楽の歴史の話が聞きたいとみんなが思ってきているのではないだろうか。

 ところで、中村紘子氏が『ピアニストという蛮族がいる』という衝撃的なタイトルで、内容と言えばさらに衝撃的な本を著してから何年になるのだろう。この本によって耳慣れない「ハイフィンガー」という言葉が一挙に広がって、それによってピアノのお稽古が一変した。あ、私もハイフィンガーだった、これは間違っていたんだ! と。ハイフィンガーが間違っていたのかどうかはさておいて、高名なピアニストがハイフィンガーと言っただけで、天地がひっくり返るというのは、日本のピアノ界それほど脆弱だったせいなのだろうか。たった一人の外国人が、バイエルはピアノの鍵盤を少ししか使わない、と言ったとたんに、バイエルはダメなんだ、という気分が一気に広がった。ここにも「ハイフィンガー」と全く同じ構造が存在する。 確かにバイエルはピアノの鍵盤を少ししか使わない。しかし、それにはちゃんとした意味があってのことなのである。「静かな手」という考え方がある。それは「初心者は一度鍵盤に置いた手を移動させずに練習した方が効果的である」というお稽古の考え方だ。「静かな手」という、少しだけ鍵盤を与える、そんな小さなピアノを子どもに与える、という合理的発想なのである。それを短絡的に、バイエルはピアノの鍵盤を少ししか使わない、と非難するのはよくない。さらによくないことは、それをすぐに、よくないと真に受けることである。
 ただ、残念なことに「ハイフィンガー」といい「静かな手」といい、どちらも、ピアノの奏法や教則本の音楽史に少し注意を向ければすぐに分かるというものではない。

 日本人はなぜバイエルをたとえ批判されても、百年以上も弾き続けているのか,と言う理由は、簡単に分かるようなことではない。そこには意識されない構造が働いているからである。わたしの『バイエルの謎』は、その無意識の構造を歴史の史料を集め、分析することで取り出したものである、というのが自著についての私の解説である。
 さて、日本人の頭に漠然とあるピアノ奏法やピアノ教則本の歴史は、だいたいチェルニー以降である。19世紀半ば頃以降の歴史である。日本で出版されているピアノに関する本もほぼすべてこの歴史に関したことばかりである。私たちがそこしか自覚していないからである。平たい言葉でいえば、そこにしか興味がないからである。 しかし、ピアノを弾くというある意味厄介な作業を克服するのにヨーロッパ人がもっとも苦労し、いろいろ思案し、あの手この手を考え出したのは、実は、チェルニーが活躍する以前の時期だったことに気付くことは、教則本についての考えにコペルニクス的転換が起こることなのである。そう言えば、レオポルド・モーツァルトのそんな本しかないなあ、という気づきとしてこの転換が現れる。
 無自覚とか無意識とか、あるいは構造とか難しい言葉を使ってしまったが、平たく言えば、そういう言葉で言いたかったことは、「謎」ということである。 ピアノを弾くということにも、私はこの「謎」をたくさん見てしまう。簡単なものを一つ取り出してみよう。
 人間の手の指は親指を入れても10本しかない。親指を入れてもと、わざわざ言ったのは、欧米語では親指は「フィンガー(指)」とは言わず「サム」と言って区別していることを念頭に置いたからである。たった10本の指で、現在では88もある鍵盤を操作するなんてどだい無理難題である、と考える方がまともではないだろうか。だから私はこれをピアノ奏法の「絶対矛盾」と呼ぶことにしている。だから『わくわくチャレンジ 1本指~バイエル程度』なんて本のタイトルは、この絶対矛盾を逆手にとっているわけで、じつに愉快である。もしもパソコンの鍵盤(キー)がピアノのように横一列に並んでいたら、どうなるだろう。文章を打ち込むのにえらく苦労すること請け合いである。ピアニストのように腕や首や背中を優雅に悩ましげに揺すりながら文章を打つはめになるだろう。幸いそうなっていないので、パソコンの鍵盤(キー)を操作するのに、だいたい長くて一ヶ月もあれば慣れてしまう。ピアノの鍵盤(キー)を操作するのに慣れる時間に比べて、なんと短いのであろうか。ピアノの鍵盤(キー)を操作するのに生涯まで賭けているのがピアニストだとも言える。中村紘子氏が言わなくても、ピアニストは尊敬をこめてやはり蛮族に値する。

 ピアノ奏法の歴史とは要点を言えば、今言った「絶対矛盾」をいかに克服するか、の歴史に他ならない。この歴史を「絶対矛盾」の謎として捉えると、自分たちの既存の知識に新しい展開がもたらされる。そうなってしまえば、ピアノの歴史で一番面白いのが、実は、チェルニーが活躍する以前の歴史なのである、ということに気付くのに、それほどの手間はいらない。
 「絶対矛盾」の周りにはさらに小さな「矛盾」がある。サム(親指)がそうである。チェルニー以前には、これは「悪魔の指」とも言われていた。なぜなら、親指だけが、動く方向が他の4本の指と異なるからである。親指だけが、普通に動かせば、左右に動く。しかしこれでは鍵盤は押さえられない。そこで無理して他の指と同じように上下に動かさなければならない。それを強制する訓練をほどこさなければならない。あるいは、かつてそうしていたように、ピアノを弾くのに親指を除外することである。
 こうした「絶対矛盾」やその周囲の「小矛盾」を克服する涙ぐましく、滑稽な歴史があって、1850年に「バイエル」という名教則本が誕生したのである。こうした無自覚な「音楽史」をめぐっては、バイエルを調べていろいろわかった、言うなれば後日譚がけっこうある。それを書かないでいるのも、なんだかもったいない話なので、この連載で「謎解き」としてお楽しみいただこうという趣向である。

 構想としては、1806年に東ドイツのクヴェアフルトという小さな都市に誕生したバイエルとその祖先の生涯を縦軸にして、「絶対矛盾」やその周囲の「小矛盾」にまつわるピアノ奏法とその教則本の歴史について、「謎解きばなし」を展開してゆきたい。それは日本人が昔から親しんできたザクセン州のライプツィヒの話になるだろうし、バッハやバイエルの祖先が活躍したザクセン=アンハルト州やチューリンゲン州の鍵盤楽器の歴史を探訪することになるだろう。おたのしみに。

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