エチオ・ジャズ狂
川瀬 慈  

川瀬 慈(かわせ・いつし)
1977年岐阜県生まれ。 映像人類学者。国立民族学博物館准教授。エチオピアの楽師、吟遊詩人の研究に基づき、映像作品、詩、小説、パフォーマンス等、既存の学問の枠組みにとらわれない創作活動を行う。主著に『ストリートの精霊たち』(2018年、世界思想社、鉄犬ヘテロトピア文学賞)、『エチオピア高原の吟遊詩人 うたに生きる者たち』(2020年、音楽之友社、サントリー学芸賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞)、詩集『叡智の鳥』(2021年、Tombac/インスクリプト)等。http://www.itsushikawase.com/japanese/

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最終回 創造的な結合NEW

 冬の朝。濃尾平野の山間部を車で走る。つい先日リリースされたばかりのナガリトゥ・バンドNegarit Bandの新譜を聴く。しばらく会っていないアジスアベバの友人たちからの音の便りだ。ナガリゥトゥ・バンドはドラマーのタファリ・アサファTeferi Assefaが率いるエチオピア屈指のジャズバンドである。一曲目のEmahoy。出だしからいきなり引き込まれる。エンドリス・ハセンEndris Hassenが奏でる弦楽器マシンコのソロがジャズバンドの軽快なセッションに切り込んでいく。土臭くも哀愁漂うエチオピア高原北部のペンタトニックは、混沌としたアジスアベバの交通渋滞に、さらには薄明のアムハラ高原の彼方に、私を否応なく引き戻す。Emahoyとはおそらく、2023年3月に亡くなったばかりのエチオピア出身のピアニスト、エマホイ・ツェゲ・マリアム・ゲブルEmahoy Tsegué-Maryam Guèbrouのことを指すのだろう。気高くもブルージーなソロピアノ。エチオピア、スイス、エジプトで音楽の教育を受けつつ、人生の大半を尼僧として生きた、稀有なピアニストへの追悼の念が込められた楽曲なのだろうか。

“Jordan River Song” Emahoy Tsege Mariam Gebru

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 マシンコのみにとどまらず、ワシントと呼ばれる笛や竪琴クラール等、伝統的な楽器の演奏が、アルバムのいたるところに散りばめられているようだ。タファリと私のつきあいは長い。出会いは2007年にさかのぼる。ワシントンD.C.のアリーナ、DCアーモリーで行われたマハムド・アフメッドMahmoud Ahmedのコンサートにおいてドラマーを務めていた彼に出会った。大柄で穏やかなタファリは、アムハラ語を話す私に驚きつつ、D.C.を拠点に活動する多くのエチオピア系ミュージシャンを私に紹介してくれた。エチオピア系移民が構える店舗が多いUストリート界隈のレストランで行われていた彼のバンドのリハーサルに私を招待してくれたこともある。タファリはアジスアベバの裕福な家庭に生まれ、ポーランドと米国でジャズ・ドラミングを学び、ムラトゥ・アスタトケ Mulatu Astatkeに直接師事をした。彼に出会った当時、彼はウダッセWudasseと呼ばれるバンドを率いて、米国を中心に活動を行っていた。

“Selam” Wudasse

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 そんな彼が、そこそこ安定していた米国での音楽生活を切り上げ、アジスアベバを拠点に活動をスタートさせたのが2010年頃であったと記憶している。米国からエチオピアに戻った彼は、アジスアベバ、カサンチス地区のクラブ、ファンディカを拠点にナガリゥトゥ・バンドで活動する。バンドメンバーの流動性は高いが、バンドの結成以来、作曲からミュージシャンの選別、演奏のブッキングにいたるまで、タファリがリーダーとして率いてきた。
 エチオピアは80の民族を抱え持つ他民族国家だ。アジスアベバで最も熱い音楽のクラブであるファンディカでは、色とりどりの民族舞踊と、ナガリトゥ・バンドのセッションを楽しむことができる。グラゲ、ソマリ、オロモ、アマラ(ゴンダール、ウォッロ)、ティグライ……。トウザワジと呼ばれる男女のダンサーが、こまめに衣装を変え、多種多様な民族の踊りを披露する。エチオピアの民族舞踊は概して、20世紀の国立劇場の舞台や軍事政権時代のキナットと呼ばれる楽団を母体に、企画・デザインされ、練り上げられた身体表現ともいえる。しかしながらここファンディカでは、音楽も踊りも、体制側によって主導され、構築されていった型に決してとらわれることはない。ファンディカのオーナーであるダンサーのメラク・ベライは、パンデミック、内戦、インフレに苦しむ庶民の姿をも、ダンスの振り付けに反映させてきた。ナガリゥトゥ・バンドは、ダンサーたちによる様々な身体的な実験に呼応するかの如く、エチオピア諸民族のメロディとリズムの探求を続けてきた。

ファンディカにおけるナガリット・バンドとエチオピア民族舞踊(グラゲの踊り)のセッション、左端がタファリ

 ナガリット・バンドの使命は、伝統的な先住民音楽Indigenous musicと現代のジャズとの創造的な結合creative marriageを通して、ポリフォニックでポリリズムな音楽遺産を保存・保護することである。(以下略)

 当バンドのホームページに掲げられた、バンドの「中心的な使命」である。ナガリゥトゥ・バンドは、エチオピアの伝統芸能の脈絡において、どちらかといえば見落とされがちであった、南部諸民族州の人々のポリフォニーやポリリズムまでをも器用にバンドの演奏に反映させていく。タファリ自身が録音機材によって録音したフィールドレコーディングの成果を、バンドの演奏のなかに取り入れることもある。アムハラ地域をはじめ、いささか北部に偏りがちなエチオピア音楽の“物差し”を脱中心化し、多様な地域のリズムや旋律を取り入れることによって、その“色合い”をさらに豊かにするという、なかなか興味深く粋なチャレンジといえるのではないだろうか。
 二年程前のこと。「アルバムの中身は完成している、でもレーベルがなかなか動いてくれない」「もしチャンスがあるのなら、日本からリリースすることも検討したい、どこかよいレーベルを知らないか」と、タファリから相談を持ち掛けられていたことを思い出す。今回の作品はBuda Musiqueからのリリース(正式には、Ethio-sonicと題されたBuda Musiqueの企画の一部)ということである。プロデューサーのフランシス・ファルセトFranicis Falcetoが動いたのだろう。タファリが長い年月をかけて力を注いだ作品であることを知っていたので今回の作品『Origins』の発表はとても感慨深い。よかったねタファリ、と心の中でつぶやいた瞬間、アルバムの三曲目に度肝を抜かれた。

“Lalibela” Negarit Band

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 どこかで聴いたことのある歌声だ。そうだ私が録音したラリベラの女性の歌声じゃないか。のびやかで艶やかな女性の斉唱。楽器を伴わない美しい声。ラリベラとよばれる、極めてユニークな世襲の音楽集団については少し詳しく紹介させてほしい。私自身、多くの時間を費やし、彼ら、彼女たちの活動を追いかけてきたからだ。

 ラリベラ(自称ラワジ)と呼ばれる歌い手たちは、早朝に家々の軒先で歌い、乞い、家の者から金や食物、衣服等を受け取ると、その見返りとして人々に祝詞を与え、次の家へと去っていく。ラリベラは、ゴッジャム、ショワ、ウォロ等の地域に点在する村々を拠点に、男女のペア、あるいは単独で、一年のほとんどを町から町を広範に移動して歌唱に従事する。人々がまだ寝静まった明け方からお昼ごろにかけて、家屋の玄関先でいわゆる門付けを行うのだ。ラリベラは楽器を用いることはない。旋律の起伏が少ない呪文のような歌を通して、じわじわと聴き手に施しをせまっていくのである。ラリベラはしたたかでもある。しばしば歌いかける相手に関する情報を近所の住人から聞き出し、歌詞のなかにとりこんでいく。これらの情報には、歌いかける相手の名前のほか、宗教、職業、家族構成等も含まれる。それらの歌詞は聴き手の気分を高揚させ、聴き手を施しへとかりたてるのである。金品や衣服、食べ残しの食物を受け取ったあと、歌い手はそれらを渡した人物に対して「イグザベリ・イスタリン(神があなたに恵みを与えますように)」という特定のフレーズから始まる祝詞を贈るのだ。ところで、エチオピア北部の社会では、当集団が歌を止めるとコマタ(当集団の隠語では‟シュカッチ”)という重い皮膚の病を患うという言説が今日に至るまでひろく共有されている。この言説についてはラリベラ集団内においても認識に大きな差がある。シュカッチを恐れるために歌い続けるという者もいれば、そのような話はばかばかしい迷信に過ぎず、純粋に生計のためだけに歌うという者ももちろんいる。

ラリベラ独唱(撮影・川瀬)

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ラリベラ母、娘の歌(撮影・川瀬)

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 いやいや、ラリベラの社会集団としての特質やパフォーマンスの特徴のみ語るのは、ナガリットゥ・バンドに対しても、彼らの楽曲に対しても失礼だろう。楽曲Lalibelaに戻ろうか。ラリベラの歌声が冒頭に、中盤に、さらに後半に用いられる。歌詞を持たない、女性二人のユニゾンによる見事なコーラスは、母と娘のラリベラだ。ワシントの笛の野太い音色と、後半になるにしたがって、変則的に、スピードアップしていく圧倒的なタファリのドラムにラリベラの歌声が絡んでいく。これらの音、歌の粒それぞれに宿る物語の重みと深みに引き込まれていく。私にとってこの楽曲が、はたして創造的に結合しているのかどうかはわからない。今度アジスアベバに戻る際、ラリベラの歌い手たちにそのあたりのことをたずねてみたいものである。

蜂蜜のように甘いご主人さま 海のようなご主人様
海のように心が広いご主人さま 私をはっきり思い出してください
あなたは職場で愛でられる宝石のような存在ではありませんか
蜂蜜のように甘いご主人さま 海のようなご主人様
海のように心が広いご主人さま 隣人たちがやるのと同じように
あなたも私に何かを恵んでください


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