専門書にチャレンジ
広瀬 大介

広瀬 大介(ひろせ・だいすけ)
1973年生。青山学院大学文学部比較芸術学科教授。著書に『リヒャルト・シュトラウス 「自画像」としてのオペラ──《無口な女》の成立史と音楽』(アルテスパブリッシング、2009年)、訳書にベルリオーズ、シュトラウス『管弦楽法』(音楽之友社、2006年)など。『レコード芸術』誌などへの寄稿のほか、各種曲目解説などへの寄稿・翻訳多数。 Twitter ID: @dhirose

これまでの記事はこちらからどうぞ

第50回 吹奏楽編曲をもっとスムーズに!

 吹奏楽、と聞くと、筆者の脳裏にはほろ苦い想い出ばかりが浮かんでしまう。中学生のときに吹奏楽部に入ったものの、体育会的な運営に最後まで馴染めず、音楽の道に進みたいとおぼろげに思っていた少年の心はわりと簡単に折れてしまったと記憶している。最初に担当したのは打楽器。自分で演奏するのはピアノとヴァイオリン。というわけで、今回のテーマでもある、「移調楽器」という管楽器の特性については、自分から興味を持って部活で演奏する作品のスコアを読むようになってようやく学んだ。え、クラリネットって、楽譜のドの音を吹くと、実際にはシのフラットの音が出るの?どうしてそんな面倒なことするの?すべての楽器で、ピアノやヴァイオリンみたいにドの音を弾いたらドの音が出るようにすればいいんじゃないの?という、無知で素朴すぎる疑問が次々に浮かんだことを懐かしく想い出す。
 クラリネットやホルンといった楽器が、楽器の発展の歴史の中でさまざまな経緯によって現在のようなかたちになったことを学ぶのは、もう少し成長した後のことだった。高校生になってからはオーケストラ部に移り、まったく体育会系ではない運営にホッと胸をなで下ろしたが、人数は少なく、なにか有名作品を演奏するたびに、小さな編成用に書き直したりせねばならない。そこには当然管楽器も含まれるわけで、移調楽器について学びつつも、移調楽器のために旋律を書き換えるのは、自分がそれらの楽器を演奏しないことも相まって、いつも難渋を極めた。

 今回採り上げるのは、自分が中高生だった時代にこんな本があれば、きっといろいろ迷うことなく、スムーズに編曲作業が進められたはずなのに、と、早く生まれすぎたことを悔やんだ2冊である。
 管楽器の特性や音域、演奏法については「管弦楽法」と呼ばれる本にまとまっている。最近では伊福部昭の大著が話題になったが、かつてはウォルター・ピストンのそれが代表作だっただろう(そう考えると、自分がベルリオーズ の著作を訳すことになったのは、何かに導かれた運命だったのかもしれない……)。
 柳田孝義による『吹奏楽の編曲入門』は、吹奏楽に興味のある、吹奏楽作品への編曲に挑戦したいと考えるひとたちのために、そのような「管弦楽法」のダイジェスト版的な位置づけの著作と考えるとイメージしやすいだろう。先述の専門書がかなり複雑な内容にまで踏み込んで説明していることを考えれば、本書はある程度吹奏楽を嗜むひとが、各楽器のしくみや音域、得手不得手とする奏法などを学ぶことができる、という意味で、より多くのひとにとって開かれている。クラシックの名曲が数多く用いられていることで、原曲と編曲のイメージが掴みやすくなっていることも特筆すべきだろう。
 本書の後半は、実際に木管アンサンブル、金管アンサンブル、管弦楽から吹奏楽への編曲について、著者による実例を示しながら要点を解説している。とくに最後の点については、木管楽器は木管に、金管楽器は金管に、そして弦楽器をクラリネット+サクソフォーンに、という大原則を踏まえつつ、その実例をチャイコフスキーやメンデルスゾーンで示してみせる。ただ、ここで与えられている手法はあくまでも大枠であり、実際の工夫は編曲者自身が数多くの実例を踏まえて、経験を積んでいかねばならないだろう。

 『吹奏楽の編曲入門』が教科書的に参考できる著作だとするならば、伊藤辰雄『すぐに役立つ移調楽器の読み方』は、なにかわからないことが出てきた時に、「すぐに」調べることのできるレファレンス的な著作と考えるのがよいだろう。各楽器の音域、実音→移調音、移調音→実音への変換例が図表としてまとまっているだけでなく、音階と音名、調と調号、音程、コードネームなど、楽典の基礎的事項も「すぐに」確認できるようになっている。小さな課題とその解答も加えてあり、一種の練習問題ドリルとして使うことも可能だろう。吹奏楽の指導にかかわる現場の方々にとっても、こういう内容の本を待望されていたに違いない。
 もっとも、いまでは、実音で書かれた楽譜をFinaleなどの楽譜浄書用ソフトに入力すれば、クリック一回であっという間に移調楽譜が完成してしまう。細かい発展を遂げたこの種のソフトを使いこなすためのマニュアルも充実しているので、むしろソフトの習熟に時間をかけるほうがよい、と考える向きもあることだろう。だが、やはり、いちどは自分の手で、五線紙に音符を書き込む作業をしてみたほうがよいだろう。各楽器の特性だけでなく、あらゆるアンサンブル形態に習熟するために、そして音楽を自由自在に操れるようになるために、その原理は今回紹介した本でじっくり学んでおくに越したことはない。本書をひもときながら、中学生・高校生時代の想い出が蘇るような読者も、きっと自分だけではあるまい。

※この記事は2022年7月に掲載致しました。

ご紹介した本
吹奏楽の編曲入門
 

 

吹奏楽の編曲入門

柳田孝義 著

吹奏楽へと編曲をする際の楽器の音域・音色・組み合わせ方、そのほか楽器の特長や扱い方といった吹奏楽に関係する楽器のオーケストレーションの入門書。第1部では吹奏楽で用いる各楽器の特色をひとつずつ解説。第2部では、実践としてまずは基本的な考え方を解説。次に各セクションのアンサンブルへの編曲、そして管弦楽から吹奏楽へと大規模な編成の編曲、と順を追って実際の楽器の使い方を解説。第3部では、補足的に関連する分野(調の選択、移調楽器など)の解説をしている。
著者の「名曲で学ぶ」シリーズを踏襲し、内容の全編にわたって各楽器にあてられたクラシックの名曲譜例を多く掲載。また、その譜例に対応した音源を特設サイトにて視聴可能。楽譜を読みながら音を聴くことで、実際の編曲へのイメージが湧きやすいつくりになっている。また、第2部では著者が実際に編曲した例を多数掲載しており、ポイントごとに分かりやすくまとまっている。


すぐに役立つ移調楽器の読み方
 

 

すぐに役立つ移調楽器の読み方

伊藤辰雄 著

1993年に東亜音楽社版として初版発行以来、長年に渡って重版しているロングセラーの『スコア・リーディングに強くなる 移調楽器入門―改訂版―』。30年近く前の書籍だが、内容の精査およびデザイン・レイアウトを一新する新版として刊行。併せて書名もリニューアルした。スコアなどで移調楽器について読むときに必要な知識を分かりやすく解説。読譜に慣れるための課題と解答を多く収載し、読むだけでなく、移調楽器の楽譜を書く力もつけられる。課題には実際の管弦楽曲などから多く引用しており、実践に繋ぎやすい構成となっている。そこに重きを置いている書籍として、基礎楽典から音域や記譜法などの楽典の解説も最低限含んでいる。また、吹奏楽指導者向けに代理楽器を選ぶ際の注意点にも触れている。


 

その他のWEBコンテンツはこちらからどうぞ