専門書にチャレンジ
広瀬 大介

広瀬 大介(ひろせ・だいすけ)
1973年生。青山学院大学文学部比較芸術学科教授。著書に『リヒャルト・シュトラウス 「自画像」としてのオペラ──《無口な女》の成立史と音楽』(アルテスパブリッシング、2009年)、訳書にベルリオーズ、シュトラウス『管弦楽法』(音楽之友社、2006年)など。『レコード芸術』誌などへの寄稿のほか、各種曲目解説などへの寄稿・翻訳多数。 Twitter ID: @dhirose

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第34回 待望の邦訳! ラフマニノフの包括的文献、スクリャービンの第一級史料

 年末年始の行事として、勤務先の大学で自分のゼミに属している学生の卒業論文・修士論文の指導と添削が、ここ数年来加わっている。10人前後の学生の興味の方向性はさまざま。自分の専門と同じテーマを選ぶ学生がめったにいないのは、いろいろ突っ込まれることを恐れているのでしょうかね……。
 もちろん、自分の専門と違うテーマを学生が選んだからといって、指導をおざなりですませるわけにもいかない。学生には真っ先に文献表を作ってもらい、その書き方を指導するところから始めることになる。その文献表に、自分の知らない書籍が含まれている場合、それをこっそりと、慌てて入手するのが、私の側の最初の卒論指導準備となる。少なくとも、学生と同じ歩調で同じテーマを学び始めることになるわけで、卒論「指導」とはいっても、実質的には自分が学生の人数分の新しい知見を学び、それを吸収することのできる得がたい機会ともなっている。

 今年度はちょうど、ラフマニノフの《ピアノ協奏曲第2番》の分析研究をこころざす学生がいる。学生も私もロシア語には昏いので、「まずは英語・日本語でアクセスできる文献で、作曲家の基礎研究から始めようか、でもラフマニノフに関する日本語での包括的な概説書はほとんどないような気がするけど、探した? あまりない? そうだよねえ……。ロシア音楽史の本をまずは手に入れて読んでおこうかあ(ため息)」みたいな会話を、はじめは繰り返していた。
 ところが、その状況が一変したのが、昨年の5月。マックス・ハリソン『ラフマニノフ 生涯、作品、録音』(現在絶版)が上梓され、この作曲家に関する情報を一気に得ることが可能となった。タイトルの通り、ラフマニノフの生涯だけでなく、作品の解釈、そしてこの偉大なピアニスト自身が遺した数々の録音について、これだけの規模で包括的に知ることのできる日本語の文献は現在のところ存在しない。
 成立過程や曲について知り尽くしている、と(不遜にも)思い込んでいた《ピアノ協奏曲第2番》についても、学生とともにあらためて本書をひもといてみると、少なくともこれまでのオーケストラの曲目解説などでは触れられることのなかった事実がいくつも指摘されている。ラフマニノフの精神衰弱を招いた直接的原因とされている《交響曲第1番》初演の失敗については、グラズノフ指揮による演奏の不手際、そして曲の本質を捕まえることのできなかったキュイの酷評という悪条件が重なってしまったことが、さまざまな例証とともに示される。その後、オペラ指揮者としての仕事を立派にこなしたこと、バス歌手シャリャーピンとの交流でさまざまな刺激を受けたことなど、「神経衰弱」とされる時期の活動について、このようなかたちで触れられることはほとんどないだろう。むしろ、ロンドンでの演奏旅行では賛否相半ばしたこと、文豪トルストイに作品を酷評されたことによって、ラフマニノフはかなり気落ちする。功成り名を遂げた人物に自作を批判されて、心折れない若者がいるだろうか。これらの出来事があってはじめて、ニコライ・ダーリによる催眠療法で、ラフマニノフは自信を取り戻す、という例の「物語」へとつながっていくことになる。
 作品そのものの分析についても、かなりの紙幅を割いて取り上げられており、ここではそのすべてを紹介することはできないが、ソナタ形式としては異例の調性配置を選んだ第1楽章、展開部を廃したソナタ形式を用いた第3楽章で、各部をつなぐ部分にダーリの治療を思わせる「神秘三連符」を用いたことなど、音楽そのものに対しても、因習的な音楽を作ったとするような旧来の作曲家像を大きく修正する必要に迫られるだろう。
 個人的には、ピアニストとしての活動を本格化させ、ほとんど作曲をしなくなる後半生、とくにアメリカ時代の作品を愛してやまない。《ピアノ協奏曲第4番》や《交響的舞曲》など、ラフマニノフが新しい音楽的冒険へと取り組もうとする良い例であり、その秘密を果敢にあきらかにしようとするその筆致に触れるだけでも、本書をひもとく価値がある。

 ラフマニノフに関するこの著作だけでもかなりの分量があるにもかかわらず、日をおかずに、同じ訳者・森松皓子による『スクリャービン』が出版されたのは大きな驚きであった。1ページを二段に分割し、小さめのフォントが用いられているため、かなりの情報量が詰め込まれているが、原著にはない小見出しをつけてわかりやすくして、読者の便に供しようとする訳者の工夫が偲ばれる。
 『ラフマニノフ』は伝記でありつつもかなり本格的な研究書の体裁をとっていたが、『スクリャービン』は、晩年の作曲家と親しく付き合ったレオニード・サバネーエフ(1881-1968)が書き残したドキュメンタリーである。科学者でありながら作曲・ピアノも手がけたその多才ぶりはボロディンを彷彿とさせる。おもに批評家として活躍し、その言動の率直さをスクリャービンも愛し、1909年から1914年、作曲家が亡くなるまで親しく付き合いを続けた。ソ連政府にとってサバネーエフは好ましからざる人物と見做され、フランスに亡命せざるを得ず、スクリャービンについて書かれた本著作も1925年に出版されて以来、長い間陽の目を見ることはなかった。ソ連政府が崩壊した後、2003年に再刊され、スクリャービンのひととなりを知る第一級の史料として、再び注目が集まっている。
 その観察は日々の暮らしぶりから音楽観、音楽そのものの分析へと及んでおり、これだけの観察力をもってひとりの作曲家の様子を描ききった類書はあまりない。お茶の際、スクリャービンは乾パンを好んで食べたが、それが皿からテーブルクロスに落ちると、「桿菌(かんきん)がいるかもしれない、我々はクロスに手を置くのだから」といって決して食べなかったという(40頁)。スクリャービンの神経質さを示すエピソードとしてのみ語られがちだが、後年の死因が連鎖球菌への感染であったことを考えると、いかにも皮肉ではあるのだが。晩年のスクリャービンを特徴付ける独自の思想についても、それが神智学的見地から生み出されたものであり、《交響曲第4番「法悦の詩」》の性的な意味合いも、それが両性具有的な世界の合一という神智学の発想から生じたものであることが説かれる。新しい作品について説明するスクリャービンの言葉も余さず収められており、とりわけ《ソナタ第7番》が晩年にこだわった「神秘劇」の要素がこの作品にどのように込められたか、具体的な譜例と共に解説される(115頁)。あらゆる作品には論理がなくてはならぬ、と説く一方で、論理で武装しているようなシェーンベルクの作品を粗雑であるとこき下ろす。複雑かつ矛盾に満ち、みずからの思索に閉じこもり、その世界の中で自らの幸せを追い求めようとした作曲家の姿が等身大で描かれる。

※この記事は2017年1月に掲載致しました。

ご紹介した本
スクリャービン 晩年に明かされた創作秘話
 

 

スクリャービン 晩年に明かされた創作秘話

レオニード・サバネーエフ 著/森松皓子 訳

本書は、晩年のスクリャービン(1871-1915)を真近で見た友人レオニード・サバネーエフ(1881-1968)による貴重な「記録」である。晩年の作曲構想――神智学の隙間から覗き見た西欧ロマン主義の独自の解釈――、当時のロシア音楽界、家族のことなど、多くがスクリャービン本人の言葉で語られている。時には歯に衣着せぬ批評をしたとして敵も多かったサバネーエフだが、スクリャービンからは一目おかれていた。初版は1925年に出版されたものの、サバネーエフが西側へ亡命したこともあり、旧ソビエト政権下では忘れられていたが、2003年に本国で再刊された。ロシア音楽界では必読書として読み継がれている名著、待望の日本語完訳である。本書の最大の特徴は、スクリャービンが第三交響曲以降の作品を通じて具体化しようとした思いが、本人の言葉通りに記されていることだ。知られざる晩年のスクリャービンの思想が浮き彫りとなる、重要な文献の一つ。


 

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