人工知能が音楽を創る

創造性のコンピュータモデル

訳者まえがき

平田圭二・今井慎太郎・大村英史・東条敏


創造性は宇宙や脳に匹敵するほどの知的好奇心を刺激するテーマである。創造性が生み出す新しい価値によって,人は人らしく生きることができる。文化芸術や科学技術においてはもちろんのこと,ビジネス・遊び・スポーツ・ファッション・料理・食事などにおいても然りである。しかし,我々は創造性についてあまりにも知らないことが多過ぎる。近年,社会への影響度がグンと増した人工知能の観点から,頻繁に次のような問いが投げかけられるようになった。創造性を持つ人工知能は実現可能なのだろうか。作曲家のように音楽を創作する人工知能は 作れるのだろうか。実現可能だとしたら,どう作ればいいのだろうか。本書は,そういう疑問を持っている方に是非読んでもらいたい。なぜなら,この本は3つの意味で本物だからである。


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第1に本書が本物なのは,著者のデイヴィッド・コープが音楽学の専門家であると同時に情報科学の専門家でもあるからである。デイヴィッド・コープは現在カリフォルニア大学サンタクルーズ校の音楽学部で教鞭をとりながら,現役の音楽家として作曲活動を続けている。コープは,1980年代よりシステム「Experiments in Musical Intelligence(EMI)」の実装と,それを用いた音楽制作を始め,同名の書籍(1996)でそれらを集大成した。ここには,クラシック音楽時代の未完成曲に対しEMIがその続きを作曲して完成させた譜例が掲載されており,そのクオリティの高さゆえに大いに世間の耳目を集めた。と同時にコープは,コンピュータ科学と人工知能の哲学的側面にも精通している。また,彼はこれまでEMI,Gradus,Alice,Apprenticeなどいくつもの音楽システムを実装しているが,それらをLisp言語でコーディングしているところに矜持を感じる。そして,情報科学のみならず,哲学・心理学・美学などの分野における創造性に関する関連文献をも徹底的に綿密にサーベイし,それらの主張を整理している。実証的な創造性研究に興味のある方にとっては,本書の第1,2,3,12章を一読するだけでも価値があると思われる。

そんなコープが,芸術家が普段行っている思考のモデル化・形式化を行い,その内省に基づいてシステム実装をしているのである。この世に音楽好きの人は多く,あまたの歴史上の偉人達もその例に漏れない。多くの科学者・芸術家・作家・詩人・哲学者らが,音楽そのものや音楽における創造性について感じ,考え,言葉を残してきた。どの言葉も音楽における真実の一面をうまく捉えてはいるものの,コンピュータ上でプログラムが書けるほどに有効なものはほとんどなかった。音楽家が語る創造性は,プログラムとして記述するには曖昧で主観的な部分が多かったし,彼らが手がける自動創作や創作支援のシステムは,方法論やワークフローのデジタル化にとどまるケースがほとんどであった。これはコープのように,音楽学の専門家であると同時に情報科学の専門家でもあるという一人二役が務まる人物がいなかったからだと思われる。

コープの内省は冷静であり,プログラムとして実装することを前提としているものがほとんどである。たとえば,第7章第1節におけるブルックナーの分析では,「私があらゆる音楽から聴くのは音の基本的な動きであり,それもコンテキストの安定性と不安定性の観点からである」と述べている(p.237)。第7章第3節では,「主題・動機・和声・音色・調などが戻ってくるのか,戻ってくるとしたらいつどうやって,といった期待は,音楽形式の因果関係を表す。人間の作曲家は,音楽が最初に形式化されて以来,そうした概念を直感的かつ明白に採用している。それに類似した概念を組み込むことなく,コンピュータプログラムが創造的に作曲することは不可能であろう」と述べている(p.260)。第10章では,「これら3つの音楽的誘発のグラデーションは私自身の音楽創作の過程を映している。たとえば私はしばしばローカルレベルでちょっとした創造上の選択を行い,必要な時には予期しない新しい戦略を試みる。リージョナルレベルで作曲を行う時には,音楽に対する論理的な推論に基づき〈引喩〉するものを注意深く拾う。よりグローバルなレベルでは,私は身の回りで聞く音楽から(半ば無自覚に)類推を働かせ,ゆっくりと私自身の様式へと昇華させる」と述べている(p.333)。

本書に含まれるおびただしい数の楽曲分析は,音楽家としてのコープ自身が行っている。ややもすれば主観的あるいは一面的と捉える向きもあるかもしれないが,しかし,詳細でバランスの良い分析結果を読めば,その信頼度や説得力は,おそらく非専門家1000人による試聴評価より高いであろうことに同意してもらえるだろう。たとえば,ベートーヴェンによる未完成ピアノ協奏曲ニ長調の作曲過程の分析(第3章図3.14, p.095)は,まるでベートーヴェンが我々の眼前で旋律を推敲しているかのように,ベートーヴェンが創造する瞬間を生き生きと捉えている。これは,コープのような専門家しかできない作業であることを強く印象づける。もちろん,専門家同士の見解の相違というのはあるだろうが,少なくとも,我々には何らかのスタート地点を与えてくれよう。

音楽における創造性というテーマに関して,自分のやってきた研究と自分が作曲した作品をベースに,芸術家とエンジニアという2つの観点から,音楽における創造性に関する書物を著すことができるのは,地球上にコープしかいないのではないだろうか。


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第2に本書が本物なのは,楽曲の自動生成から一歩も二歩も踏み込んで,自分が作った作曲支援システムを使って本物の芸術作品を作曲することで,音楽における創造性に具体的に迫ろうとしているからである。

コープは1980年にEMIシステム開発を始めた動機について,「EMIは,単に私に時間と気力があるなら手で書くであろう曲を作曲しているだけである」と言っている(第12章, p.372)。興味深いことに,コープの真の興味は,「音楽の様式とは何か?」,「なぜこの作品は良くて,ある別の作品は悪いと考えられるのか?」,「音楽の評価においては背景(作曲家の人生など)がどういう役割を持つのか?」,「音楽は意味を持つのか?」などにある。EMIシステムの実現とその利用を通して,音楽の本質・価値・評価を追究するうちに,コープは創造性の問題を避けて通れないことに気づいたわけである。「(当時はEMIの)音楽を聴いた多くの人から音楽的な創造性のモデル化に成功していると言われたが,音楽的な創造性をモデル化する意図は全くなかった」と書いている(第2章, p.052)。ちなみに,コープは「コンピュータは良い音楽を作れるか?」とか「コンピュータの作曲プログラムは,人間の作曲家にとって代われるか?」という類いの質問は表層的で意味が無いと断じる。なぜなら音楽経験の浅い訓練されていない耳の持ち主は言葉遊びで欺くことができるからだと言い切っているのだ。

そして,コープ自身の創造性に関する定義「これまで積極的に結びつきを考えられていなかった2つ以上の多面的な物事・アイデア・現象どうしを初めて結びつけること」に辿り着く(第1章, p.014)。本書全体を貫く横糸としてこの定義を用い,第4章以降で音楽を創造する機械の部品(コンテキストから得られた引喩のパターンマッチング・感化の付与・組み換え,およびSPEACという機能の階層モデルなど)を1つ1つ作り,最後に連想ネットワークでこれら部品を統合してみせて,音楽創作の基本的な枠組みとするのである。

ここで,創造性に関するコープの主張や仮説のうち,主要と思われるものをいくつか拾ってみよう。「創造性とランダム性は異なる」(第3章)。「プログラムの作者(EMIの場合はコープ)の創造性と,プログラム自体が持つ創造性(もしそういうものがあれば)を区別すべし」(第4章)。「人間の作曲家は部分的にほかの作曲家のアイデアを組み替えて(引喩によって)音楽を創作する(第5章)。(本書の5つの章で)「私(コープ)は組み替え・引喩・学習・階層・感化の5つを最も重要な構成として説明してきた。音楽的知性には,これらが必要であると私は考えている(第8章)。EMIによる私(コープ)の作品を批判する他の評論家は,この音楽が人間の創造性を危機に陥れるという。私は逆に,プログラムによる音楽が,人間の創造性を実際にサポートするのだと思う」(第10章)。

こうしてEMIを用いて作曲された音楽作品は,実際にコンサートで上演されるだけでなく,CDとして販売されたり(実際にアマゾンなどで購入可),コープの公式Webサイトで試聴したりできる*。

*たとえばhttp://artsites.ucsc.edu/faculty/cope/5000.htmlなど。

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最後に本書が本物であるのは,コープが音楽における創造性の研究に科学的態度で臨み,反証可能性を実践しているからである。

人が作った人工的な音楽システムに,人のような創造性が宿っているかどうかを科学的に検証するなんて無謀に思える。それはコープ自身も認めているところなのだが,それでも小さい一歩を進めるために,コープは科学的態度と反証可能性を大切にする。

一般に科学的態度とは,基本的に再現性と検証可能性を担保することといわれている(メカニズムの解明までは含まれていない)。あるいは,形式性と事実を担保することという考え方もある。形式性とは,記号システムによって記述される抽象的な構造の上で,正しいことから推論を行って正しいことを導き出す性質のことである。そして,その記号システムは現実世界と全く遊離したものではなく,現実世界を適切に抽象化あるいはモデル化していることを要求するのである。反証可能性は科学哲学者カール・ポパーが提唱した概念であり,ある仮説を提示する時,(自分を含む)誰かによるのちの実験や観察などによってその仮説が間違っていることを明確に示すこと(反証)ができるように提示しておくことを指す。逆に言えば,いかなる手段を用いても間違っていることを示せないような仮説は反証可能性が無いというわけである。

さて,コープはある意図をもってEMIで無数の作品を作曲しており,その意図を確認するため,第4章ではチューリングテスト的な誌上実験を行っている。この誌上実験は,再現性と検証可能性を担保しており,機械か人か見破れなかった読者に対しては,「これらの作品のどちらがモーツァルトによるものであるか分からない人々は,〈組み替え〉が,その作曲プロセスを明かさずとも,データベース内の音楽様式をうまく再現できることを,多少なりとも認めるべきである」(p.123)と科学的な選択を迫る。

第6章で紹介される対位法の作曲を学習するGradusプログラムは,初歩的な機械学習に基づいて実装されており,プログラム自体は小規模であるが,学習を積み重ねることでより高度な音楽課題を解けるようになっていく。そのGradusのコード*が掲載され,多数の実行例とともにその仕組みが詳細に説明されている。読者は自分の手元でGradusを実装し,コープと同じ実験を再現できるだけでなく,自分のデータ(旋律)を用いて発展的な実験をすることも可能である。これも再現性と検証可能性の担保である。

*原義は体系だった符号のことであるが,転じて,人間が入力したコンピュータプログラムの文字列を意味するようになった。ソースコード(source code)ともいう。なお,和音を意味するコードの綴りはchordであり,ケーブルを意味するコードはcordである。

有名作曲家の作品や,EMIを用いて作曲した曲の分析は全てコープ自身で行っており,主観的・一面的という批判を免れ得ない。それに対し,コープは本書の全体を通して,自分の仕事・主張に対する緻密で深い内省を行っている。また,コープは本書の多くの箇所で様々な反論を試みているが,それらの反論は,受けた批判を十分咀嚼した上での論理的な反論であると思う。一般に良い分析・評価の条件とは,自分が提案した方法を他の研究者にも十分に納得してもらえるということ,および,提案方法の改良点を正確に同定できることである。この意味において,我々翻訳陣は,コープの主観的評価の有効性を認めてもよいだろうと考えている。さらに,もっと突っ込んだ表現をするのであれば,コープは本書のような書籍執筆が,創造性の研究評価における1つのスタイルであると主張しているのではないかと思う。


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このように,本書はデイヴィッド・コープの30年余にわたる思索と実験と挑戦の歴史に基づいている。誰も挑戦したことのない世界を進み,新しい分野を切り拓いてきた著者だからこそ経験してきた苦闘の歴史でもある。それだけに,種明かしになってしまうが,「私が歴史的作曲へ再び魅了されて戻ることのないよう,それを確約するために,私はEMIのデータベースを全て消去した(プログラムは残した)」(第12章, p.386)の記述は衝撃的である。コープの本気度を垣間見た気分になる瞬間でもあろう。

そんな苦闘の歴史の詰まった本書ではあるが,コープは読みやすさに配慮して,各章に比較的独立したトピックを割り当てるなど,様々な工夫をこらしている。各章の冒頭には,創造性に関して主張したい原理の1つが掲げられる。本文は,たいがい自らの経験を踏まえたエピソードから始まり,その個人的な経験を敷衍して冒頭に掲げた原理に至るという構成を取っている。もちろん豊富な譜例 とその詳細な解説も盛りだくさんである。そして,各章の最後には,原理を体現したプログラムの機能や動作紹介があり,それらプログラムのほとんどは実際にWebからダウンロード可能である。時に気楽なエッセイやあるいは自伝的要素も登場し,一瞬この話はどこに続くのだろうと読者に思わせる。チェスの上級プレイヤーであることがカミングアウトされるなど,デイヴィッド・コープという人物の人間臭さや粘り強さを,深く印象づける効果をもたらしている。

本書は3部構成になっているが,その概略については著者によるまえがきのp.xivをご覧いただきたい。一般的な創造性という概念の定義や歴史,音楽における創造性,コープの考える創造性に興味のある読者はまず第1部を読むのがよいだろう。次に,創造性を発揮するシステムにはどんな仕組みをもたせればよいのか,創造性を生み出す(複数の)基本原理は何か,それはどのようにプログラムとして実現 すればよいのかに興味のある読者は第2部を読むのがよいだろう。そして,コープが長い時間をかけた試行錯誤の中で構築してきた音楽創作を支援するシステムの全体像に興味のある読者およびプログラムが創造した楽曲の美学的問題に興味がある読者は第3部を読むのがよいだろう。


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