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広瀬 大介(ひろせ・だいすけ)
1973年生。青山学院大学文学部比較芸術学科教授。著書に『リヒャルト・シュトラウス 「自画像」としてのオペラ──《無口な女》の成立史と音楽』(アルテスパブリッシング、2009年)、訳書にベルリオーズ、シュトラウス『管弦楽法』(音楽之友社、2006年)など。『レコード芸術』誌などへの寄稿のほか、各種曲目解説などへの寄稿・翻訳多数。 Twitter ID: @dhirose

広瀬 大介

第46回
稀代の研究者・演奏家、ローゼンの主著が日本語に!

 音楽作品の諸形式について、より一歩踏み込んで学びたい・知りたいとこころざすひとが必ず出くわす著者のひとりが、チャールズ・ローゼンである。これまでに出版された主だった訳書も『シェーンベルク』(武田明倫訳、岩波現代選書、1984年)、『ソナタ諸形式』(福原淳訳、アカデミア・ミュージック、1997年)、『ピアノ・ノート』(朝倉和子訳、みすず書房、2009年、2018年新装版)、『ベートーヴェンを“読む”』(土田京子監修他、道出版、2011年)、『音楽と感情』(朝倉和子訳、みすず書房、2011年)、など多岐にわたり、手に取られた方も多いだろう。今回訳されたのは、もっとも大部にして、ローゼンの主著と言うべき『古典派音楽の様式』であり、いよいよ真打登場、といった感がある。ここではまず、チャールズ・ローゼンそのひとについて、簡単に振り返っておこう。

 1927年5月5日、ニューヨーク生まれ。2012年12月9日、同じくニューヨークにて没。ジュリアード音楽院で音楽のレッスンを受け、その後ピアニストのモーリッツ・ローゼンタールとヘドウィグ・カンナー・ローゼンタールにピアノを(1938-1944)、カール・ヴァイグルに作曲と理論を師事した(1944-1952)。 1947年、プリンストン大学に入学し(1947年学士、1949年音楽史修士)、1951年にロマンス言語・文学の博士号を取得し、同時にピアニストとしてデビューしている。在学中は、数学など興味のあるゼミナールにも参加しており、あらゆる方面に才能を発揮する天才型の人格であったことを窺わせる。
 パリに滞在した後、マサチューセッツ工科大学で語学の教師となる(1953-1955)。1971年にはニューヨーク州立大学ストーニーブルック校の教授となり、断続的に教鞭をとっていた。その後、カリフォルニア大学バークレー校、ハーバード大学、オックスフォード大学でも教えている。1971年に出版された本書は飛ぶように売れ、全米図書賞を受賞した。一方で1972年にはベートーヴェンの後期ソナタを、1978年には《ディアベリ変奏曲》を録音し、それぞれグラミー賞にノミネートされている。文芸方面でも、1974年にはアメリカ芸術文学アカデミーの会員に任命された。研究者、演奏者としてのキャリアを見事に両立させた、驚くべき生涯である。
 もともとローゼンは、ピアニストとしてキャリアをスタートさせている。バッハやベートーヴェン作品を演奏し、世界的な名声を得た。「透明感溢れる」と形容されることの多いその演奏は、シェーンベルク、ヴェーベルン、ブーレーズのピアノ曲を演奏するまなざしから得たものなのだろう。1961年には、エリオット・カーター《ピアノとハープシコードのための協奏曲》初演に参加。ストラヴィンスキーの死の直前には、作曲者から直接、《ピアノと管弦楽のためのムーヴメンツ》の録音を依頼された。ヴェーベルンの12音様式で作曲された作品であるだけに、その方面に通暁したローゼンの力を借りたのだろう。

 ローゼンが音楽評論、あるいは研究活動に本腰を入れはじめるのは、60歳代、1990年代以降ということになる。本書も1997年に改版が出版されており、いまなお古典派を論じるときの最重要著作のひとつ、という地位を譲っていない。本書におけるローゼンの論旨は、個々の作品分析というだけにとどまらず、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンを時代のスタイルの典型的モデルとして理解しようというスタンスに現れている。これは結果的に「ウィーン古典派=この三人の作曲家だけ」というイメージを我々に植え付けることにもなっており、出版当初から賛否両論が喧しかった。実際、我々の世代にとっても、この三人以外の作曲家による同時代の音楽を脳裏に思い浮かべることは難しく、そのような歴史観の形成に一役買った著作でもある。
 今回、あらためて本書を通読し、音楽学者としてはどの時代を専門としていても決して逃れることのできないウィーン古典派が扱われてはいるものの、まだまだ知らないことが多いと勉強しつつ、反省もさせられた。とりわけ第V部「モーツァルト」の弦楽五重奏曲、第VI部「モーツァルト没後のハイドン」における教会音楽などは、古典派音楽の構造が何を前世代から受け継ぎ、何を次世代に渡したのかを知る上で大変興味深い事例であろう。
 個人的には、四半世紀ほど前の学生時代、必要に迫られて本書をひもといたものの、あまりに高尚かつ複雑な英語の構文にあえなく挫折した苦い記憶を想い出す。訳者のお二方もあとがきで本書の訳しづらさを述べておられたが、あの英語を想い出すたびに、この浩瀚な著作を訳してくださった労に感謝せずにはいられない。

※この記事は2021年7月に掲載致しました。

ご紹介した本
古典派音楽の様式

古典派音楽の様式
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン

チャールズ・ローゼン 著/大久保賢、中村真 訳

刺激的な著作でクラシック音楽界に旋風を巻き起こした、米国のピアニスト・音楽文筆家チャールズ・ローゼン(1927-2012)の最初の著作にして、もっとも広く読まれた著。1971年初版刊行と同時に大きな反響を呼び(1972年 全米図書賞受賞)、その後も世界の研究者にとっての道標の一つとして高く評価されてきた。1997年の増補改訂版ではベートーヴェンに関する2つめの章が追加され、本訳書もこれに基づく。
本書は、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンという巨匠の音楽と古典派様式のありようを見事に説明し、古典派音楽の言語を描き出す。優れた音楽家である著者の、豊かな経験を土台に鋭い洞察が繰り広げられており、どの章にも読み応えがある。古典派巨匠の相互の関係性を具体的、かつダイナミックに論じた研究書は少なく、古典派音楽の複雑な本質に迫る力は特に注目に値する。18世紀古典派音楽を理解するための必携書、待望の初邦訳!

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