専門書にチャレンジ

広瀬 大介(ひろせ・だいすけ)
1973年生。青山学院大学文学部比較芸術学科教授。著書に『リヒャルト・シュトラウス 「自画像」としてのオペラ──《無口な女》の成立史と音楽』(アルテスパブリッシング、2009年)、訳書にベルリオーズ、シュトラウス『管弦楽法』(音楽之友社、2006年)など。『レコード芸術』誌などへの寄稿のほか、各種曲目解説などへの寄稿・翻訳多数。 Twitter ID: @dhirose

広瀬 大介

第43回
科学によって音楽を論証する――ラモーという人物が身近に感じられる良書

 すでにジャン=フィリップ・ラモーについては、『自然の諸原理に還元された和声論』という代表作が伊藤友計氏の飜訳によって上梓され、このコラムでも紹介した。伊藤氏は、この著作を中心とした研究から得た知見をもとに、理論家ラモーを包括的に取り上げ、その意義を考察する新たな著作『西洋音楽理論にみるラモーの軌跡』を送り出した。ラモーそのひとが書いた『和声論』は内容的にも複雑でもあり、やはりその道に秀でた研究者の懇切丁寧なガイドがあってこそ、その体系をよりよく理解することができる。その意味では、今回紹介する『ラモーの軌跡』を通読された上で、『和声論』に取り組まれると、なおいっそう良いだろう。

 本書の魅力は、「もともとは数比の伝統を正統に継承していたラモーが、音響物理学の威力をまざまざと見せつけられたのちは科学によって音楽を解明し論証することに人生を賭け」(142頁)てきたその軌跡をつぶさに追いかけたうえで、結局はそれに挫折するというひとりの音楽家の生涯を垣間見せてくれる点にある。
 ラモーが目指したのは、音楽の理論に、18世紀的な啓蒙主義の精髄でもあった新しい科学的見地を組み合わせ、統合することにあった。その最大の眼目は、それまで使われていた旋法から、長短調の体系を用いる音楽へと移行するにあたって、すでに科学的に論証されていた主音からの長三度だけでなく、短三度を用いることの理論的裏付けをも確立することにあった。
 その細かい理論の説明は本書に譲るが、結局のところ、ラモーがその理論構築に失敗した「音楽と科学の統合」(音楽を科学的に自然現象へと還元してその存在を証明すること)については、現代に至るまで事態は大して変わっておらず、短三度の理論的裏付けについては、現代においても納得のいく理論的説明は与えられていない。だが、このことが、ラモーの打ち立てた理論そのものを否定することにはあたらず、基礎低音を中心とする和声理論とその教育法には大きな寄与を果たしたことも強調される。

 誰しも、自身が人生の多くの時間を費やして追求し、確立した理論が世に認められず、現世での成功を得られなかったとすれば、それはつらい生涯だったと感じるには違いない。ラモーが対人関係に難のある性格であったとは、同時代の文筆家にして百科全書派の重鎮でもあったドゥニ・ディドロが著した、生前には公開することのなかった小説『ラモーの甥』にも説かれるところ(伊藤氏も冒頭で引用されている)。もちろん、本作の記述をそのまま鵜呑みにするつもりはないが、ここに描写されるラモーのありよう、人情に欠け、自分の世界に籠もりがちな人物であったというのは、おそらくは真実の一端を伝えるものではあるのだろう。
 伊藤氏の明解な文章によって説かれるラモーの理論とその検証を読み進むほどに、評者には、頑ななまでにみずからの世界に閉じこもり、みずからが信じる真実の世界へと沈滞していくラモーの姿が、実感を伴って迫ってくるように思われた。ラモーの音楽、そして理論を通じて、その人物がより身近に感じられるようになるこのような本をこそ、良書と呼ぶべきだろう。

※この記事は2020年10月に掲載致しました。

ご紹介した本
西洋音楽理論にみるラモーの軌跡

西洋音楽理論にみるラモーの軌跡
数・科学・音楽をめぐる栄光と挫折

伊藤友計 著

ラモーという人物と、彼の音楽理論への導入となる一冊。『和声論』を完訳した気鋭のラモー理論研究者による書き下ろし。
扱われる内容は、「自身以前の数世紀にわたる西洋音楽理論における“数比の伝統”に則るかたちで理論家としてスタートしたラモーが、西洋近代を画することになる科学革命や18世紀フランス啓蒙主義の只中でいかに“音楽理論と科学”の統合を目指したか(そしてこの試みが必ずしも成功しなかったか)」。
中心となるテーマは「協和的とされる音程はどのように定義されてきたのか」、そして「なぜ“ド・ミ・ソの和音”が西洋音楽において特権視されるのか」。
数比の伝統(ピュタゴラスとザルリーノ)に言及した後、ラモー理論の一大特徴である、中世の伝統から科学への転換を追う。
終盤ではラモーへの批判も取り上げる。ラモー理論の弱点・欠陥を正確に捉えることは西洋音楽理論が抱え込んでいる諸問題を理解するためにも重要である。

HOME