エチオピアの楽師、吟遊詩人を追って―音楽を職能に生きる者たち―

川瀬 慈(かわせ・いつし)
1977年岐阜県生まれ。映像人類学者。国立民族学博物館/総合研究大学院大学准教授。
エチオピアの楽師、吟遊詩人の人類学研究、民族誌映画制作に取り組む。同時に人類学、シネマ、アートの交差点から創造的な叙述と語りを探求する。代表的な映像作品に『ラリベロッチ』『僕らの時代は』『精霊の馬』『Room 11, Ethiopia Hotel』(イタリア・サルデーニャ国際民族誌映画祭にて「最も革新的な映画賞」受賞)。共編著に『アフリカン・ポップス!——文化人類学からみる魅惑の音楽世界』(明石書店)、『フィールド映像術』(古今書院)、近著『ストリートの精霊たち』(世界思想社)が第6回鉄犬ヘテロトピア文学賞を受賞。

川瀬慈
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第5回
権力への従属と抵抗、メディアとしての芸能者

 汗が飛び散る。ムンムンとした熱気に包まれ息苦しい。目の前でマシンコを演奏する男性アズマリ、そしてその横で全身を波打たせて踊る女性アズマリ。聴衆といっしょくたに絡みあい、一つになり、うねるようなグルーブを生み出していく。アジスアベバ、バヘルダール、そしてゴンダール等エチオピア北部の都市では、1991年の社会主義政権崩壊にともなう夜間外出禁止令の解除以降、アズマリ音楽専門のクラブが増加した。これらは現地でアズマリベット(“アズマリの家”の意)と呼ばれる。アズマリベットでは、地方の農村の生活をモチーフにした民具が飾られ、演奏者は農夫のコスチュームを纏い、エチオピアの牧歌的なイメージをあえて醸し出す。アズマリベットはいわばいなかっぽさを意識的に演出する。生き急ぐ都会人に対して、いなかへの憧憬をかきたてるかのようだ。

 ゴンダールのアズマリベットの外観
 ひさしは農村の屋根を模す
 農夫の作業時のコスチュームを着て
 アズマリベットで演奏する男性

 アズマリベットの夜は長く熱い。国際情勢を歌う歌手、艶っぽい男女の性の駆け引き、ワールドカップのネタ、地方行政の批判、なんでもありだ。夜の8時や9時ではまだ全然早い。そんな時間帯には、ミュージシャンは店に出勤すらしていない。11時すぎぐらいに出向くのが良いだろう。お気にいりの店をはしごして、円熟した楽師たちにほめ歌を歌ってもらい、心の奥底をくすぐってもらうのもよいだろうし、弦楽器マシンコと太鼓カバロのビートにあわせて、頭が真っ白になるまで踊り狂うのもいい。少し気取って、自分でこしらえたアムハラ語の詩を歌い手になげかけると、歌い手は一字一句その詩を模倣する。アズマリに投げかける歌詞を通して、一緒に来た仲間たちを笑わせたり、あっと驚かしてやるのもよい。
 アジスアベバ人気のアズマリベットに、イウォダール(‟愛してるよ”)がある。ここは、ゴンダール出身のアズマリで構成される店であり、マラフィヤ・タカ、そしてアダナ・タカ姉弟の拠点だ。姉のマラフィヤは圧倒的な声量で、ミドルテンポのバラードを得意とする。弟のアダナは、天才コメディアン。聴衆が期待する、アダナの十八番の歌は、アダナ自身が実は、ジャマイカのレゲエ歌手、ボブ・マーリーの弟だ、というでっちあげのドタバタ喜劇、その名もBob Marleyという歌である。

楽曲:Bob Marley, Adane Teka

映像:イウォダールで歌うアダナ・タカ

 客たちは、この歌で大盛り上がりだ。しかしそんなアダナは、政治ネタも得意とする。彼は毎朝、新聞の購読を欠かさず、国際情勢、政治的な話題を歌の中に柔軟に反映させていく。アダナの歌は、為政者をもちあげたかと思うと、その政策に関して妙な説得力で批判を挟み、客たちをうなずかせ、さらには、権力者たちの失策を面白おかしく揶揄して聴衆を爆笑の渦にいざなう。アダナは、エチオピアのみならず、エチオピア移民を大量に抱える米国のワシントンDCやアトランタへしばしば出張演奏にでかける。北米でも祝祭儀礼の場やクラブでの歌、演奏にひっぱりだこだ。

 米国でのアダナ・タカの演奏広告  アダナ・タカのカセットアルバム

 そんなアダナが、ある晩、私の目の前でこんな歌を歌った。

  ኮከበ ቅልድሙ መኮነኑ ለፋ
  強運な勇者であったが、もう疲れきった

  ያ...ግርማ ሞገሱ ከየት አገር ጠፋ
  あの潤しい姿はどこへいったの

  ቀን ሲኘል ያሰው ፈዘዘ
  すっかり希望を失い手持ちぶさた

  በተወለደበት እግሩ ተያዘ
  生まれ故郷で捕らえられたこと

  አጥፍቶም ከሆነ በነበረበት
  それは単なるミスではない

  አለማወቁ ነው አስረው በፈቱት
  もし彼が本物の識者ならば解放されるべき

  የነበረው ሁሉ ሲቀየር ቀለሙ
  変装し姿を変えて逃げまわった

  ከጉድጓድ የወጣው አስለቀሰኝ ፂሙ
  地下の穴から出てきたときの あの髭面にはさすがに泣けた

  መጠንቀቅ መጥፎ ነው ጠላሁት ንግሰትን
  王になることは本当につらい 過度の自己保身はよくない

  አይቸው በሳዳምአግኝቶ ማጣትን
  サダムから学ぶこと それは「盛者必衰」

 サダムとはイラク共和国の大統領であったサッダーム・フセインのこと。1979年に大統領になり、2003年まで独裁者として君臨。イランとの戦争やクウェート侵攻、少数民族の虐殺を強行し、湾岸戦争でアメリカに敗れ、結局は絞首刑に処された彼のことだ。イラク北部の生まれ故郷ティクリート近郊の地下の穴に隠れていたところを引きずり出されたフセインの映像はテレビやインターネットを通して世界中をかけめぐった。この時の映像を覚えていらっしゃるかたは多いだろう。かつて世界を震わせたカリスマティックな独裁者。その彼がぼうぼうにのびた髪の毛と、整えられていな髭面のみすぼらしい乞食のような姿で穴ぐらから引きずり出される。アダナはフセイン捕獲のストーリーを題材に、まさに、驕る平家は久しからず、と歌う。しかしながら、この歌は単なる権力批判ではない。強引な米軍に煽られつつ、権力の椅子からころげおち、最終的には一方的に絞首刑に処せられた元独裁者に対する同情、憐みの念をも感じさせる点が、この歌の味わい深いところかもしれない。

 欧米の旅行者による旅行記や歴史家の著述などには、しばしば「放浪の音楽家」として紹介され、その移動性が過度に強調されるアズマリであるが、実は近代のエチオピア社会の変遷のなかで、彼らはさまざまな社会的な役割を担わされてきたことが知られている。歴史学者たちや、20世紀の民族音楽学者たちの古い文献を漁っていると、アズマリの様々な顔がうかがい知れる。その際、アズマリが時代時代の権力と深い結び付きがあったことが示されるのだ。ゴンダール王朝の封建社会がこのような歌い手たちを育んできた、という説明もしばしばみかける。王侯貴族お抱えの楽師として活躍した者がいたことについてはすでにふれた。とはいうものの、アズマリは権力を一方的に礼賛するだけの存在ではない。時と場合によっては、権力に対して抵抗する存在でもあったことがうかがえる。
 ゴンダール王朝による封建体制が崩れた直後、18世紀の群雄割拠の時代は、地方の諸侯たちが乱立し領地争いを繰り広げた。この時代にアズマリの多くは諸侯の庇護下にあり、諸侯をほめ称えたり、気分を高揚させたり、あるいは戦場で戦士を鼓舞するために歌った。18世紀にゴンダールに滞在したスコットランド人旅行家のジェームズ・ブルースは、歌を通して時の王、ラス・ミキャエルを揶揄し、殺された楽師の集団がいたことを報告している。19世紀後半のメネリク二世の統治期においては、税の徴収係として活躍したアズマリが存在したことが明らかになっている。家の玄関に楽器を持ったアズマリが立って「おーい、○○さん、税金ちゃんと納めてくださいよ」と歌いかけてくるとする。みなさんはどんなリアクションをとるだろう。しかめっ面のお役人に金を払えとせかされるよりは、コミカルな芸人が歌を通して納税を要求してくるのなら、ひょっとすると悪い気はしないのかもしれない。


 1936年 イタリア軍が撮影したアズマリ

 時は流れ20世紀。ファシズムを掲げるイタリア軍が、1935年にエチオピアに侵攻し、翌年には、毒ガスを広域に散布し、兵士と市民の区別なく虐殺を行い、同年ハイレセラシエ皇帝は英国に亡命した。直後、イタリアの当時の皇帝ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世が東アフリカ帝国の皇帝に就任した。エチオピアとともに、イタリア領ソマリランド、エリトリアの3地域が事実上、イタリアの植民地となったのである。エチオピアがイタリア軍の統治下にあったこの期間、イタリア軍を称賛する内容の歌を強制されたアズマリの存在が報告されている。1939年には、イタリア軍の大佐、ジョバンニ・シレッティ大佐によるエチオピアの伝統音楽の調査が行われ、約248曲が録音された。この録音にはマシンコを弾き語るゴンダールのアズマリたちが数人含まれている。 たとえばアズマリの歌の録音の中にはイタリアの軍用機を、エチオピア正教の主要な聖人の一人、ガブリエルが乗ったとされる馬にたとえて賛辞を贈ったり、侵略国の皇帝であるヴィットーリオ・エマヌエーレ3世をあからさまに褒めたたえる歌まで聴くことができる。しかしながら同時期、ファシストによる軍政に対抗するため歌を通して人々を扇動したアズマリが暗躍した。その多くがイタリア軍によって捕えられ処刑されたという。


 1868年のアズマリ。英国軍による撮影 “Abyssinie Swing”より

 また、1970年代初頭にはじまる、社会主義をイデオロギーに掲げたダルグ(DERG)軍事政権時代には、政権のプロパガンダを歌ってきかせるアズマリが頻繁にラジオに出演した。彼は、エチオピアの様々な民族の言語を器用に使い分けて歌ったという。アダナ・タカが新聞の記事を歌に反映させていると述べたが、アズマリ自身がかつては、一種のメディアのような役割を担っていたともいえる。為政者はアズマリを活用し、庶民へメッセージを伝達したのだ。
 アズマリは権力者の庇護のもと、権力を礼賛するとともに、時には庶民の代弁者となって歌を通して支配者に抵抗してきた。エチオピアの長い歴史の中でのアズマリの役割について俯瞰すると、権力についてははなれるというそのトリッキーな立ち位置が見えてくるのである。

  • 参考文献
  • Bolay, A. 1999. The Azmari: The Burlesque Middleman of Ethiopian Society, IES Ethnographic Museum Catalogue, pp 16–17.
  • Falceto, F. 2001. Abyssinie Swing. A Pictorial History of Modern Ethiopian Music/Images de la musique éthiopienne moderne, Addis Ababa: Shama Books.
  • Pawne, M. 1968. Ethiopian Music: an Introduction: a Survey of Ecclesiastical and Secular Ethiopian Music and Instruments, London: New York: Oxford University Press
  • Teklehaimanot Gebreselassie. 1986. A brief survey study of the Azmaris in Addis Ababa, in A. Zekaria, B. Zewdie and T. Beyene (eds), International Symposium on the Centenary of Addis Ababa, Volume 2: 161-72.
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