エチオピアの楽師、吟遊詩人を追って―音楽を職能に生きる者たち―

川瀬 慈(かわせ・いつし)
1977年岐阜県生まれ。映像人類学者。国立民族学博物館/総合研究大学院大学准教授。
エチオピアの楽師、吟遊詩人の人類学研究、民族誌映画制作に取り組む。同時に人類学、シネマ、アートの交差点から創造的な叙述と語りを探求する。代表的な映像作品に『ラリベロッチ』『僕らの時代は』『精霊の馬』『Room 11, Ethiopia Hotel』(イタリア・サルデーニャ国際民族誌映画祭にて「最も革新的な映画賞」受賞)。共編著に『アフリカン・ポップス!——文化人類学からみる魅惑の音楽世界』(明石書店)、『フィールド映像術』(古今書院)、近著『ストリートの精霊たち』(世界思想社)が第6回鉄犬ヘテロトピア文学賞を受賞。

川瀬慈

第20回
シュカッチ伝説

 ラリベラはなぜ歌うのか? ラリベラに関して僕は、早朝の活動を止めればコマタ(“ハンセン病”の意)を患うと信じ、病への恐れから活動の継続を余儀なくされている集団であるという言説が人々のあいだで共有されてきたことを述べた(第16回)。本当に彼らは病が怖いから歌い乞い続けるのであろうか。ほんとうにそんなことがあるのだろうか。拙作『ラリベロッチ-終わりなき祝福を生きる-』に登場したボッガラ(第18回第19回)のように、そんな話は迷信であり、日々の糧を得るために歌っているのだ、と断言するラリベラもいる。
 ここでは、ラリベラのなりわいと病の因果関係をほのめかす集団の起源伝承や、コマタに関するラリベラ自身の語りを紹介し、彼らの活動をめぐる論理について考えてみたい。まず、ラリベラが語る集団の起源伝承の代表例を3つ以下に紹介する。以下のAとCはゴッジャム、さらにBはウォロやショワの地域に共有される話だ。

【起源伝承A】
 アダムとイヴは30人の子をもうけた。神は2人に子供たちへ祝福を与えるので神のもとへ連れてくるよう命じた。しかし2人は、生まれた子供の半分である15人のみしか神の面前に連れてこなかった。神は、その15人に祝福を与え、残りの15人には呪いを与えた。神のもとに連れてこられなかった子の何人かは動物にされ、その他の者に神は「朝早く起き、人々のために祈り、その行為を親から子へと代々引き継ぐように」と命じた。

【起源伝承B】
 その昔ゲブレキルストスという名の青年がいた。生涯結婚せず、神への忠誠のもと宗教家として生きていこうと決心した。その矢先、両親はある女性との結婚を彼に強制しようとする。困りはてたゲブレキルストスは結婚式の当日逃げだしてしまう。しかし裕福な両親は多くの使いを派遣し、必死で彼を連れ戻そうとした。 追われていることを知り、ゲブレキルストスは神に懇願する、自分の皮膚を裏返し、追っ手たちの目をくらますように、と。すると、彼の手足はたちまちただれ始め、みるみるうちにその人物が、ゲブレキルストスだと誰もわからないほどになってしまった。
 歳月が流れ、ゲブレキルストスは両親の家に戻るが、両親にはその男が自分たちの息子だとはわからなかった。それでもひどい皮膚病にかかった男の風貌を哀れに思った母親は、家の近くの小屋に彼を住まわせ毎日残り物を与えた。ある夜、ゲブレキルストスは天使達に誘われ、天国へ召される。両親は小屋に落ちていた紙片をみつけ、そこに書かれたメッセージから、その男がゲブレキルストスだったと気付き、嘆き悲しむ。神への純真な信仰心に満ちた彼の生涯を称え、施しをうけることのみで生きた姿にならい、子孫達は物乞いを実践して生きていくことを神に誓ったという。

【起源伝承C】
 神が世界を創造したとき、その世界に神によって組み込まれるはずであったゲブレキルストスはたまたま食事に出かけて留守にしていた。神は戻ってきたゲブレキルストスに対して怒り「そのままずっと乞いつづけよ。人々はお前に欲しいものを与えるであろう。しかしもしそれをお前が怠ったなら、ヨブの傷を与える。」 と命令した。子孫たちは神の罰を恐れ、物乞いを行うようになった。

※旧約聖書ヨブ記において、ヨブという男の信仰心を神は様々な試練によって試す。その試練の一つに悪魔を呼んでヨブの体に悪腫をつけるという話がある。

 以上の伝承では、始祖を高貴な存在と結びつけることによって、ラリベラの出自の「聖性」が語られている。外部集団から与えられる言説に独自の解釈を与え、卑しいとされる物乞いという営みを神(ここではエチオピア北部のマジョリティが信仰するキリスト教エチオピア正教会の神)という崇高な存在と結びつけ、論理付け、正当化しているともとらえることができる。ちょうどそれは、アズマリが、聖母マリアとの密接な関わりを持った起源神話のなかで自らの聖性を正統化し、それをつねにマシンコの演奏にあわせて歌うことによって、その聖性を自集団に、さらには他集団にうったえかけている話と似通い、響きあう(第4回)。
 ところで、ラリベラの用いる隠語にシュカッチという語がある。これはコマタあるいは、コマタに感染することを意味する。シュカッチについてのラリベラの言説は様々である。「ラワジの年輩たちがシュカッチの話をするのを聞き、恐れていたが、実際仕事をやめてみてもシュカッチに犯されなかったので、結果的には恐れなくなった。」「過去はシュカッチを恐れていたが、今はさほど気にしていない。年寄りたちは歌うことをやめると自分の子供たちや家畜が、病気等の何らかの災いに見舞われると信じている。ラリベラの活動はあくまでも賃金を得るための仕事であってシュカッチを恐れるためではない。」「今までシュカッチに侵されたラリベラをみたことがない。しかし、父も祖父もシュカッチをとても恐れていた。かりたてられるように仕事に赴いた。」「父親と同世代のラワジたちはシュカッチを恐れていた。自分も、幼少時に恐れたことがあるが、現在は賃金を得るために歌唱活動を行うのみで、シュカッチに関する恐れは全くない。」「シュカッチなどというものは人々による噓にまみれた迷信。」等、シュカッチをめぐる言説は多様で、その内容は大きなばらつきがみられる。概して「ラリベラ=コマタ(シュカッチ)の恐れ」という一般のイメージについて僕は懐疑的にならざるをえない。また、ラリベラのなかには、シュカッチに対する語りと実際の生活の実践に大きな乖離がみられるものや、以下のメラクという青年のように、シュカッチに対する考えが、時間とともに変化する例もある。
 僕の古くからの知り合いに、ショワ北部出身のメラクという青年がいる。初めて出会ったのが2002年。17歳であった彼はアジスアベバにおいて、2日に1回の割合で歌っていた。
 僕は厚手の布(ガビ)をかぶり、杖を片手に彼や彼の仲間のラワジの早朝の活動を追いかけ、アジスアベバを歩き回った。


 ラリベラの装束の筆者2002年 (撮影Belle Asante)

 僕は後に彼を題材にした短編小説を書くに至った。メラクは当時公立の学校に通う学生であった。彼は早朝、登校前に町を歩き回り、歌唱活動を行っていた。間借りをするアジスアベバ中央バスステーション(通称:マンナハリヤ)近くの学校ではなく、あえて遠方の学校に通い、自らの出自や、早朝に行う歌唱活動に関して、学校の友人たちに知られないように注意していた。もちろん、ラリベラの出自がばれるといじめられたり、差別されるからだ。メラクは幼い頃から、兄等と活動をともにすることによって、歌唱技術を習得し、12歳のときに単独で活動を始め、その後、アジスアベバにおいて同じくラリベラの親類たちとともに間借りをして暮らすようになった。メラクが活動を始めたきっかけは、彼の父から「歌いはじめないとシュカッチに体を蝕まれる」と促されたのがきっかけであるという。メラクは僕に「9ヶ月間休むと、シュカッチに冒される。活動を行う理由は、シュカッチが怖いからと、金のため。」「将来は医者になりたい。そして1年のうち9ヶ月間は医者としての仕事に従事し、あとの2ヶ月程は歌唱活動を行いたい。」と語った。しかし、その後何度かメラクと再会した僕は、歌唱活動と同時に学校も止め、市場の日雇い労働者として、主に荷物運びを行いながら生計を立てていることを知らされた。歌唱活動をやっていた頃の3、4倍は稼ぐことができる荷物運びの仕事が気に入り「シュカッチはただの迷信である。今後一切、歌唱活動を行うことはないだろう。」ということだ。
 シュカッチとはなんだったのだろうか。アジスアベバの寒い朝、人々がまだ眠る時間、家々の軒先で朗々と歌うメラク。彼の吐く息の白さが目に浮かぶ。

  • 参考文献
  • 川瀬慈 2018『ストリートの精霊たち』世界思想社
  • 川瀬慈編 2019『あふりこ―フィクションの重奏/遍在するアフリカ』 新曜社
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