エチオピアの楽師、吟遊詩人を追って―音楽を職能に生きる者たち―

川瀬 慈(かわせ・いつし)
1977年岐阜県生まれ。映像人類学者。国立民族学博物館/総合研究大学院大学准教授。
エチオピアの楽師、吟遊詩人の人類学研究、民族誌映画制作に取り組む。同時に人類学、シネマ、アートの交差点から創造的な叙述と語りを探求する。代表的な映像作品に『ラリベロッチ』『僕らの時代は』『精霊の馬』『Room 11, Ethiopia Hotel』(イタリア・サルデーニャ国際民族誌映画祭にて「最も革新的な映画賞」受賞)。共編著に『アフリカン・ポップス!——文化人類学からみる魅惑の音楽世界』(明石書店)、『フィールド映像術』(古今書院)、近著『ストリートの精霊たち』(世界思想社)が第6回鉄犬ヘテロトピア文学賞を受賞。

川瀬慈

第19回
『ラリベロッチ-終わりなき祝福を生きる-』(2)

 前回紹介した拙作の民族誌映画『ラリベロッチ-終わりなき祝福を生きる-』(以下、『ラリベロッチ』)についてもう少し話をさせてほしい。そもそも本作の制作中、映像記録の方法について試行錯誤していた。撮影中僕は、路上で繰り広げられる歌い手と町の人々のやりとりをただ淡々と観察し、映像に記録するつもりであった。いわば「客観的な観察者」としての記録が可能であると牧歌的に考えていた。被写体であるボッガラやアイザレッチ夫妻には、撮影している間は、カメラのほうを見つめたり、僕に話しかけたりしないでくれとたのんだものだ。しかしそんな僕の意図とは裏腹に、撮影中の僕に対して、夫妻はよく話しかけてきた。町の人々も夫妻を追いかけてカメラを片手に走り回る僕に挨拶をしたり、ちょっかいを出すようなことが多々あり、撮影者の存在を消し去ることなどできない、ということに早い段階で否応なく気づかされた。カメラの前の現象はあくまで、撮影者である僕と被写体の人々との相互行為の中に生起するのであり、制作者の存在、主観を排除した記録など当然のことながらありえないのだろうと考えるようになった。
 僕は制作した映像作品を各国の様々な場で公開することを通して視聴者と議論を積み重ねてきた。本作『ラリベロッチ』も、多くの上映会、映画祭、学会、大学講義の場で上映され、オーディエンスから多種多様なリアクションをひきおこしてきた。上映を重ねる中で、この短い映像作品は僕にとって、意味内容が固定された「研究成果」ではなく、予想もしなかったような議論の地平を開くある種のディバイスのようなものであると考えるようになった。本作を公開することによって、ラリベラに関する、貴重な情報を得たり、研究の新たな展開が生まれるようなことが多々あった。ラリベラとの邂逅に関するパーソナルな記憶について語ってくれる視聴者とも数多く出会ってきた。
 拙作はこちらが予期せぬような視聴者のリアクションに迎えられることがある。『ラリベロッチ』をはじめとする、エチオピアの音楽集団を対象にした作品は、アフリカの無形文化記録の事例としてエチオピア国内の研究機関を中心に議論されてきた。ある時、アジスアベバで行われた会議「ジブチ・エチオピア・ソマリア無形文化遺産会議」の最終日に、『ラリベロッチ』が上映の機会を与えられた。その際、エチオピア文化遺産調査保護局の役人たちは、驚くことに、本作が、エチオピアの「貧困の強調」であるという辛辣な批判を浴びせたのである。上映の直後、役人たちと対話をするうちに、彼らが本当に問題としているのは貧困ではなく、アズマリ、ラリベラ等、音楽を専業とする集団が撮影の対象となっていることだと知った。上記の場に居合わせた役人たちの数名にとって、エチオピア国内で蔑視される傾向にある集団を国外に広く紹介してほしくはないのだ、ということを知った。
 2007年を境に、僕の作品は北米のエチオピア系移民が主催する催しで上映される機会が増えた(第15回)。作品の対象や表象の方法をめぐって、視聴者が強い意見を主張することが、北米のエチオピア系移民を対象とした上映会の場においてもたびたびあった。北米の映画界においては、エチオピア系移民2世の作家が台頭し、多方面で活躍している。また、ゴンダール出身であり、世界的にも著名な映画監督であるハイレ・ゲリマ(当時はハワード大学教授)や、彼に学ぶ若手の映像作家や学生たちが、映画によって表象されるエチオピアの歴史や文化を対象に議論、討論する研究会をワシントンDCで定期的に開催していた。ハイレ・ゲリマが主宰する上映セミナーにおいて、2007年9月に『ラリベロッチ』が上映された。著名なエチオピア人監督のセミナーに招待されるということで胸が高鳴った。しかし、討論の中で、監督と僕のあいだには、作中に登場する歌い手のパフォーマンスの描写について、考え方に大きな違いがあることがわかった。監督の見解は以下のとおりである。1 )作品冒頭のラリベラ夫妻をとりまく聴衆の存在が際立ちすぎ、夫妻の本来のパフォーマンスの姿を歪めている。これはラリベラの活動ではなく滑稽なサーカスである。2 )これらの夫妻の歌は路上ではなく、夫妻の歌詞に注意がいくよう、群衆のいない静かな場所で記録されるべきである。3 ) 撮影者川瀬に対する嘲笑や批判等が作中に聴かれる。このような言葉はエチオピアのイメージを悪くするので公表されるべきではない。4 )歌の即興性や場面対応性のような側面ではなく撮影者は、スピリチュアルな布教者 としての役割に着目すべき。なぜならば、ラリベラが従来、物質文化に偏りすぎる人々の生活への警告、富む者から貧しいものへの富の分配の必要性を説く布教者の役割を持つためである。
 撮影者の存在も含め、臨機応変に人々の反応を歌の内容に取り込んでいく夫妻の姿に焦点を当てる僕の作品は、2)3)の発言に表れているように、歌い手の歌詞のみを注意深く抽出すべきであると主張する監督には受け入れがたいのである。さらに、映画的描写の理想のみならず、路上において生起する芸能への互いの視点の相違も存在する。4)に言及して監督は、僕がラリベラの役割を路上の歌い手に限定してしまい、彼らのスピリチュアルな布教者としての諸相へ着目することを怠ったと指摘した。さらにそれは、僕が「ラリベラを包括する文化への歴史的な背景の理解不足」に起因すると述べた。この4)の点については、僕も全く想像もしないラリベラという歌い手の側面を教示されたといえる。この指摘が正しいかどうかを問うのではなく、ラリベラを理解するキーワードのひとつとして、この見解を保持しておく姿勢が必要なのかもしれない。
 職能集団や路上生活者、あるいはエチオピア正教会からは邪教あつかいされる憑依儀礼等を「非エチオピア人には見せるべきではない祖国の恥ずべき文化」としてみなし映像作品の中でとりあげることに深い懸念を示す視聴者がいる。それらの人々は同時に、特に「エチオピア文化の○○○を映像でとらえるべきである」という、強い主張、理想を掲げるため、作品の上映後、僕としばしば撮影対象やアプローチをめぐって衝突することがあった。いうまでもなく、自らがつくった作品に対して、強い批判や意見を浴びせられることは、決して気分の良いものではない。しかしながら同時に、小規模な上映会の場では、学会や映画祭のような場では決して得ることができないような、人々の感情や記憶、表象に対する理想が誘発されることが多い。あるいはハイレ・ゲリマ氏のラリベラの役割に対する見解のように、対象を理解する新たな視点や情報に巡り合うことも確かである。
 ラリベラやアズマリの歌が、固定的なパフォーマンスなのではなく聴き手との豊かなやりとりの中に常に生成し続ける営みであるのと同様に、映像上映とそれをめぐるコミュニケーションは、終わりなき旅のようでもある。

※第19回のお話は、下記の既刊論考を一部抜粋し、加筆修正しました。

  • 参考文献
  • 川瀬慈2015「コミュニケーションを媒介し生成する民族誌映画 -エチオピアの音楽職能集団と子供たちを対象とした映画制作と公開の事例より-」『文化人類学』80(1) pp. 6-19.
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