エチオピアの楽師、吟遊詩人を追って―音楽を職能に生きる者たち―

川瀬 慈(かわせ・いつし)
1977年岐阜県生まれ。映像人類学者。国立民族学博物館/総合研究大学院大学准教授。
エチオピアの楽師、吟遊詩人の人類学研究、民族誌映画制作に取り組む。同時に人類学、シネマ、アートの交差点から創造的な叙述と語りを探求する。代表的な映像作品に『ラリベロッチ』『僕らの時代は』『精霊の馬』『Room 11, Ethiopia Hotel』(イタリア・サルデーニャ国際民族誌映画祭にて「最も革新的な映画賞」受賞)。共編著に『アフリカン・ポップス!——文化人類学からみる魅惑の音楽世界』(明石書店)、『フィールド映像術』(古今書院)、近著『ストリートの精霊たち』(世界思想社)が第6回鉄犬ヘテロトピア文学賞を受賞。

川瀬慈

第16回
高原の吟遊詩人ラリベラ

 これまでのお話はアズマリが中心であった。ここからは何回か、アズマリとは異なる音楽集団ラリベラについて紹介していきたいと思う。エチオピア高原北部の地域社会においてラリベラ(複数:ラリベロッチ)と呼ばれる人たちがいる。彼ら、彼女たちは、早朝に家々の軒先で歌い、乞い、家の者から金や食物、あるいは衣服などを受け取ると、その見返りとして祝詞を与える。一種の門付(かどづけ)を行う吟遊詩人であり、生のはかなさを説く語り部なのである。
 この集団を語るときに避けて通れない話がある。それは、人々のあいだで古くから、ラリベラが、コマタ(アムハラ語でハンセン病の意)に関連付けて語られることだ。当集団が、歌い乞うことを止めるとコマタを患うので、病への恐れから活動の継続を余儀なくされている、といった話がまことしやかに伝わっている。この病や患者への根強い差別意識が人々の間に存在したエチオピアでは、1960年代以降、政府や海外の医療団体によってハンセン病の撲滅運動が精力的に行われてきた。しかしながら、エチオピア音楽を紹介する文献では、謎のハンセン病集団、夜明けのセレナーデを歌うハンセン病者等、当集団に対する地域社会の言説をなぞる、あるいは集団に与えられたおどろおどろしいイメージを強調するかのような表現が散見される。エチオピア北部の社会では、この連載で紹介してきたアズマリが人々の生活になじみが深い。しかしながら、ごくまれにどこからともなく現れては去っていくラリベラの素顔を知る人はそう多くはいなかった。早朝にどこからともなく現れ、どこかにさっていく厚手の布をまとった歌い手たち。つかみどころがない存在である、といったら大げさかもしれないが、多様で多義的なその呼称にも集団のとらえどころのなさが表れているといえよう。以下に少しずつみていきたい。
 他集団が彼らを指して用いる呼称には大きな地域差がある。首都のアジスアベバを含むショワ地域において最も一般的に用いられる“ラリベラ”は、当集団を指す他称のなかでも、最も幅広く知られているといえる。あるエチオピア人の言語学者によれば、アムハラ語名詞のレリトゥ(.明け方)と動詞のベラ(食べる)が、この呼称の起源であり、それは、この歌い手たちが、明け方に歌い、物乞いを行うことに由来しているという。これに対して、アジスアベバにおいて活動を行うラリベラの集団は、12世紀に台頭したラリベラ王に集団が専属的に仕えたことから、彼らがこの名で呼ばれるようになったという。ウォロ地域の人々によって使用される呼称“アボウデ”は、アッバ (接頭辞:年配の人や聖職者への敬称)とウダキ(ゴミ)に由来し、ラリベラがゴミのような人々であるというニュアンスを持つ。ほとんど誹謗中傷の類だ。しかしながら、逆にラリベラの側は、ここでも集団の呼称の由来に関して、まったく異なる解釈を与える。アボウデの、ウデの部分はウッドゥ (形容詞:高貴な、貴重な、高価な)に由来し、彼らが高貴な人々であるというのだ。まったく正反対の主張ではないか。もう少しみていこうか。アムハラ州北部のゴンダールやゴッジャムに行くと、この集団は“ハミナ”と呼ばれる。ゴンダールに長いこと滞在してきた僕にとってはこの呼称がもっともなじみ深い。ある著名な米国の音楽学者によれば、この呼称は、集団が中傷する人々であるというイメージに起因するらしい。ラリベラが歌に対して人々から金品をもらえなかった際、人々をきつく罵ったというのである。そのため、ゲエズ語の動詞ハマヤ (中傷する)が呼称のルーツにあるとのこと。ところがどっこい、ラリベラたち本人によれば、ハミナは、ラリベラが人々に祝詞を与える際、人々がその祝詞に対してつぶやくお礼の言葉“アーメン”に由来するのだそうだ。なんてことだろう。他集団からたとえネガティブな意味合いを持つ呼称を与えられようが、ラリベラたち自身は、その語源をまったくポジティブな“物語”に読み替え、うけとっているのだ。なんて前向きでしたたかな連中なんだろう。それはさておき、当集団は自らのことを指し、ラワジ(歌う人たち)という呼称を用いる。この語は、自集団の血縁的なつながりをほのめかしている。反対に集団外の者、アウトサイダーをバルテと呼んで差異化する。ラワジ、バルテはあくまでも集団内において用いられる呼称である。
 それでは、ラリベラの歌や活動とはどんなものなのだろうか。ラリベラの出身地はアムハラ州の各地、具体的にはゴッジャム南部、ショワ北部、ウォロが中心だ。彼ら、彼女たちは男女のペア、あるいは単独で、1年のほとんどを町から町を広範に移動して活動を行う。滞在先の町では、家族や親せきとともに宿に間借りをし、音楽活動に従事する。これまでの話の主役であったアズマリの活動と似たような印象を受けるが、ラリベラの活動の時間帯は、家人がまだ就寝中の早朝5時あたりから正午あたりにかけてだ。さらに重要なことは、ラリベラがアズマリと異なり、一切楽器を用いないことだ。男女2人によって歌唱が行われる場合、まず男性が家人に金品を婉曲的に催促する内容を歌う。このパートはレチタティーヴォ、すなわち叙唱、朗唱に近い様式で、旋律の起伏が少ない。それに続いて女性が歌詞をもたない旋律のパートを歌い上げ、男性、女性のパートが交互に繰り返され、少しずつ聴き手に施しをせまっていくのだ。

男女(夫婦)の歌唱

女性単独の歌唱

女性2名(母娘)による歌唱

 この歌唱が男性単独、女性単独、もしくは女性二人でなされることもある。単独の歌唱の場合は、異なる二つのパートを一人で担う。なかには、歌唱を行う際、片方の手で片耳を押さえながら歌う者もいる。これは高音を発しながらも、自分の声をはっきりと聴きとるためであるという。金品や衣服、食べ残しの食物を受け取ったあと、ラリベラはそれらを渡した人物に対して「イグザベリ・イスタリン(神があなたに恵みを与えますように)」という特定のフレーズから始まる祝詞を贈る。あえて地域の住民に聞こえやすいように、道路側を向いて金品を与えた人物を褒めたたえる祝詞を歌うこともある。さて、ここからがアズマリにも負けない集団のしたたかさなのだが、ラリベラはしばしば歌いかける相手に関する情報を近所の住人から聞き出し、歌詞のなかにとりこんでいく。これらの情報には、名前のほかにも宗教、職業、家族構成等が含まれる。それらはもちろん聴き手の気分を高揚させ、聴き手を施しへとかりたてていくのだ。ラリベラに対する人々の反応は多種多様である。親しみを込めた挨拶を投げかけるものもいれば、「この家の主は、教会へ出かけて留守にしている」「家族が病気で寝ているから黙ってくれ」「最近、祖父が亡くなったの」等、ラリベラが唄うのを止めざるをえないような言葉を投げかけ、彼らを追い払うものもいる。
 ラリベラを指して冒頭では、音楽集団、語り部、吟遊詩人などと紹介した。しかしながら実際、この集団が日々行っている行為が、歌唱なのか、語りなのか、詩の朗誦なのか、ある種の芸なのか、かけひきなのか、僕にはわからない。ただはっきりと言えるのは、彼ら、彼女たちの営みが、上にあげたどれか一つのみに限定されえない、強いて言うならばそのすべてが当てはまるということであろうか。次回以降は、より詳しく踏み込んで集団の活動や芸の詳細について解説していきたい。

  • 参考文献
  • Pawne, M. 1968. Ethiopian Music: an Introduction: a Survey of Ecclesiastical and Secular Ethiopian Music and Instruments, London: New York: Oxford University Press
  • Shelemay, Kay K. 1982. The Music of Lalibelocc: Musical Mendicants, in Ethiopia, IN: JOURNAL OF AFRICAN STUDIES VOL.9(3) , pp 128–138.
  • Timkehet Teffera. 2010. Mendicancy and Oral Poetry in Ethiopia: The Case of the Hamina, IN: Guandu Music Journal: Nr. 13, Taipei National University of the Arts, pp. 51-76.
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