エチオピアの楽師、吟遊詩人を追って―音楽を職能に生きる者たち―

川瀬 慈(かわせ・いつし)
1977年岐阜県生まれ。映像人類学者。国立民族学博物館/総合研究大学院大学准教授。
エチオピアの楽師、吟遊詩人の人類学研究、民族誌映画制作に取り組む。同時に人類学、シネマ、アートの交差点から創造的な叙述と語りを探求する。代表的な映像作品に『ラリベロッチ』『僕らの時代は』『精霊の馬』『Room 11, Ethiopia Hotel』(イタリア・サルデーニャ国際民族誌映画祭にて「最も革新的な映画賞」受賞)。共編著に『アフリカン・ポップス!——文化人類学からみる魅惑の音楽世界』(明石書店)、『フィールド映像術』(古今書院)、近著『ストリートの精霊たち』(世界思想社)が第6回鉄犬ヘテロトピア文学賞を受賞。

川瀬慈

第15回
ワシントンDCのアニキ

 前回はエチオピア北部の都市メケレで活動するアズマリ、ムカット・ムルカンを紹介した。実は米国にもアズマリのブラザーがいる。僕より10歳ほど年配のゴンダール出身の楽師、サテン・アテノーだ。僕たちは互いをゴッビライェ(アズマリの隠語で“私のブラザー”)と呼び合う仲なのだが、ここでは彼をアニキと呼ぶことにする。アニキは小柄で太った体形で、派手な色、大きめのサイズのスーツを着ている。派手な格好で町を闊歩する彼に度肝をぬかれ、すれ違いざまに振り返る輩は多い。アニキはこんな風貌とは裏腹に天真爛漫で涙もろく、宵越しの金は持たない生粋のゴンダールの芸能者だ。彼の拠点はワシントンDC、エチオピア移民の多いUストリート界隈のエチオピア料理店やバーで週に何度か演奏する。米国の様々な都市に赴き、エチオピア系移民たちの結婚式、婚約パーティー、各種の宴会で演奏する。

 アニキことサテン・アテノー  アニキの広告
 “結婚式、婚約パーティー、宴会等、
 どこにでもでかけて演奏するので呼んでください。”

 1970年代のダルグ(DERG)軍事政権が台頭した直後、いわゆる“赤い恐怖の時代”、ゴンダールにはメラク・タファラという行政官が君臨し、政権に反対する市民、学生の殺戮が市内各地で繰り広げられた。ゴンダールでは、1970年代後半以降、多くの人々がスーダンやエリトリアを経由して、欧米各地に逃亡、亡命した。この時期、多くの困難を乗り越え欧米に生活の拠点を移したゴンダール人たちの話を聴いていると、それぞれのライフヒストリーを題材に分厚い本を書けるのではないかと思ってしまう。その後、1990年代からは、米国における文化の多様性を推進するビザ制度、エチオピアでは通称‟DVロッタリー”と呼ばれる、を通して米国に渡るエチオピア人が増えた。北米各都市に散らばった人々の多くは、サービス産業や肉体労働に従事することになるが、エチオピアからの移民を中心に経営される不動産会社、経理会社、旅行会社、美容院やブティック、料理店も徐々に増えていった。北米各地にキリスト教エチオピア正教会や、ゴンダール人の相互扶助組織がつくられている。ゴンダール近郊の村々や町では、老若男女が口をそろえて、海外への移住の夢を語る。アニキの曲『良き移民』では、ゴンダール人、ひいてはエチオピア人の海外移住の近年の風潮についてこう皮肉っている。

おいエチオピア人たちよ
かつて祖国エチオピアをはなれることは死を意味した
悲しみや不安につつまれ
暗澹たる気持ちで
祖国を離れ
親族を離れ
外国へ向かった

それが今じゃどうした
パスポートやビザを得たとたん
飲んで食べて歌って踊って
パーティーにつぐパーティー
移民するってことは
まるで結婚式のようなめでたい騒ぎさ※

 エチオピアン・ミレニアム(エチオピア暦では西暦2007年が2000年ということになる)のころ、北米におけるエチオピア移民の歴史を振り返り、エチオピアの文化的な遺産を祝うフェスティバルやセミナーが全米各都市において行われた。主催者、参加者の中心はもちろんエチオピア系の移民である。そのような会には必ずと言っていいほど、エチオピアの伝統楽器を演奏する楽団、舞踊団が出演し、会を彩ることになる。僕は2007年から2009年にかけて、エチオピアン・ミレニアムに関連するイベントで米国各地の都市をまわった。各地でエチオピア系の移民を前にエチオピア音楽に関する拙作映像を上映したり、自らのエチオピアでの研究や経験を語るということをやってきた。

 以下、エチオピアン・ミレニアムを祝うフェスティバル
 エチオピア系移民のTV番組に出演
 ホストのタマイニ・バヤイネと
 米国議会図書館での講演

 いわゆる首都圏(ワシントンD.C.、メリーランド州、バージニア州北部、ウェストバージニア州)のエチオピア系移民の人口は20万人とも30万人ともいわれる。通称Uストリートのあたりはエチオピア系移民の生活と経済の拠点だ。Uストリートを歩けば、アムハラ語の看板をかかげた、エチオピア関係の店舗がひしめく。各種のエチオピア料理店では、エチオピアで食べるのと変わらない味のインジェラを楽しめるし、アジスアベバで拝見するショーと比べても決して遜色しない、芸能集団の公演を楽しむこともできる。エチオピア系の不動産会社、ヘアサロン、そしてエオピア音楽専門店もある。

 Uストリートにて

 そんな矢先、ワシントンDCでアニキと出会い交流する機会を得た。アニキはアズマリの村、バハルグンブに生まれ育った楽師だ。私が家を建ててもらい、住み込んで楽師の活動調査を行った場所だ(第12回)。アニキは、父アテノー氏の歌、演奏を見様見真似で覚え、十代の終わりには、ゴンダールの町中で活躍する、名の知れたアズマリとなっていた。軍事政権時代のことだ。彼は、共産主義をイデオロギーに掲げる軍事政権のメッセージを伝える楽団、キナットに参加し、各地を巡業した経験も持つ。1990年ごろ、エチオピアの楽団のメンバーとしてカナダで公演し、そこで亡命。その後、カナダから米国に渡りアトランタ、ワシントンDCなどを拠点に音楽活動をなりわいに生きてきた。“カナダから米国に渡り”といっても、アニキの話を聞く限り、暗闇にまぎれ、布で身を隠した密入国であったようだ。

 アニキことサテン・アテノー (2)  アニキことサテン・アテノー (3)

 僕がバハルグンブに住んで集中的なフィールドワークを行っていたのは2003年から2004年にかけて。アニキが村を離れてからずっと後の話である。僕の隣人であったアニキの父、アテノー氏から、外国にいったきりもどってこない、さらにお金を一銭も送らないドラ息子がいる、という話をきかされていた。そのため、講演で訪れたワシントンDCで偶然彼と出会ったときは感慨深かった。サテンの側からすれば、ゴンダール郊外の彼の故郷に暮らし、彼の親族だけでなく、アズマリのことばを知る、日本人との出会いは驚きであっただろう。20年以上も離れているゴンダールの故郷の親族の写真や動画をみせた時、彼の目からあふれでてきた涙を忘れることはできない。彼が故郷に戻らない(戻れない)理由について、結局たずねることはなかった。
 アニキの芸の幅は広い。“蝋と金”(第10回)を含む、ゼラセンニャなどの難解な歌を歌いこなすと同時に、マイケル・ジャクソンのヒット曲をマシンコで弾き語り、ステージ上でコミカルな動きを繰り返すこともある。しかし、ただの道化師、コメディアンの類だと思ってはいけない。彼は、マシンコに小型アンプを装着させ、エフェクターを使い、まるでジミ・ヘンドリックスのようなファンキーでノイジーなソロを弾くこともできる。こんなユニークなマシンコ奏者はいない。

サテン・アテノー “ヤガル・リジ(故郷の人)”

サテン・アテノー “ゼラセンニャ、メディナ”

 ワシントンDCには、ゴンダールの村々に出自を持つアズマリが複数名存在する。たとえばシャンベル・ベライネ(第14回に登場するムカット・ムルカンの叔父)やメラク・シサイといったブルボクス村の出身者たちだ。彼らは、集団のスティグマを象徴する弦楽器マシンコを演奏することをなるべく避け、あくまでも電子楽器の演奏を中心とするバンドのボーカリストとしての自らの姿にこだわる。シャンベルはエチオピア系移民のあいだでも、エチオピア本国でも有名なスター歌手である。

シャンベル・ベライネ “イェゼナイェ”

 シャンベルの親族の多くをよく知る僕は、ワシントンDCの彼のコンサートで、彼に気軽に話しかけたことがある。もちろんゴンダールのアズマリの隠語で。シャンベルは僕がアズマリのことばを話すことに対して明らかに気分を害し、そっぽを向いた。僕は自らが、所詮はアウトサイダーなのだ、ということを思い知らされたような悲しい気分になった。反対にアニキ、サテンは、故郷のアズマリのことばを話す僕に大喜びで、村の近況を根ほり葉ほり聞くのであった。僕は米国を訪れるたびに、アニキのアパートに居座り、彼と共同生活を送ることになった。アニキは親族と再会するかのように僕を歓迎してくれた。彼の広いベッドは僕に貸し、彼はというと、小さなソファでまるまって寝るのだ。
 近年、アニキは病に伏してしばらく入院し、生活費もままならない状態であったという。不規則な芸能者の生活がたたったのであろうか。ワシントンDCでは、一時期アズマリのサテンを救おう、というクラウド・ファンディングのキャンペーンが行われた。とても心配したのだが、最近元気になったようで、音楽活動を活発に行っている。やれやれ。

  • ※サテン・アテノーの歌『良き移民』の歌詞については、以下の著書を参照した。
  • Solomon Addis Getahun, 2006, The History of Ethiopian Immigrants and Refugees in America, 1900-2000, LFB Scholarly Publishing LLC, New York, 2006
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