エチオピアの楽師、吟遊詩人を追って―音楽を職能に生きる者たち―

川瀬 慈(かわせ・いつし)
1977年岐阜県生まれ。映像人類学者。国立民族学博物館/総合研究大学院大学准教授。
エチオピアの楽師、吟遊詩人の人類学研究、民族誌映画制作に取り組む。同時に人類学、シネマ、アートの交差点から創造的な叙述と語りを探求する。代表的な映像作品に『ラリベロッチ』『僕らの時代は』『精霊の馬』『Room 11, Ethiopia Hotel』(イタリア・サルデーニャ国際民族誌映画祭にて「最も革新的な映画賞」受賞)。共編著に『アフリカン・ポップス!——文化人類学からみる魅惑の音楽世界』(明石書店)、『フィールド映像術』(古今書院)、近著『ストリートの精霊たち』(世界思想社)が第6回鉄犬ヘテロトピア文学賞を受賞。

川瀬慈

第7回
地域社会での演奏機会(2) 精霊との会話を仲介するアズマリ

 コーヒー豆を煎る香ばしい煙と、香木を焚く香炉からの煙がとぐろを巻くように交わり、部屋の中を真っ白に満たしていく。7、8人が円陣を組み、アズマリの演奏にあわせて手を叩く。突然、一人の女性が部屋の中央に踊り出て、髪の毛を振り乱し上半身をぐるぐると激しく旋回させ始める。この動きを合図に、全員が一斉に「イルルルルルルル……」と喉の奥から歓喜の声を絞り出す。精霊が霊媒に降り、彼女が“精霊の馬”となった合図である。


 踊る霊媒 映画『精霊の馬』より

 ザールは、中東から東アフリカにかけて広く伝わる憑依儀礼である。特にゴンダールは、ザールのメッカとして知られる。人々は精霊(コレ、アウォリヤと呼ばれる)を呼び寄せ、病気や争い等、個々人が抱える問題に関して助言を求める。精霊を迎え入れるには、十分な準備をせねばならない。精霊は動物の血と肉が大好きであり、捧げられた羊や鶏をさばくときに地面に滴り落ちる血を首を傾けて啜るという。精霊はまた、様々な香りを好む。お香、コーヒー豆を煎る香り、香水(特に外国産)は、ザールに欠かせない。以上の捧げものが不十分であると、精霊は馬/霊媒を荒々しく乗り回し、黒オリーブの若葉を喰って怒り、火の中でダンスをする、そして霊媒を病気にさせるのみならず、人々に不幸をもたらすという。精霊を呼びよせ、ご機嫌をとるためには音楽も欠かせない。ザールではアズマリが演奏を行う。1人の霊媒には複数の精霊が降りる。精霊にはそれぞれ名前があり、性があり、棲家があり、気性にもそれぞれ特徴がある。楽師は、精霊それぞれの特徴にあわせた旋律や歌詞を使い分けて演奏を行い、時には即興的に歌詞をつむぎだし、精霊を呼び寄せ、楽しませるのである。


 ザールにおいて演奏を行うアズマリ

 地域社会の様々な場面において演奏を要請されるアズマリ。彼ら/彼女たちの演奏機会の中でも、ザールは難易度が高い“仕事場”と集団間では位置づけられている。トリッキーでいたずら好きで、気まぐれな精霊たちとの会話を仲介することは、人間を相手にした演奏よりやっかいなのだろう。アズマリ間では ザールの参加者一般を指して、アンカサッカシ(“揺さぶり起こす人”)、アムァムァキ(“あたためる人”)という言葉が用いられる。ザールにおいては、精霊を誘い出すために、アズマリの演奏を軸に、人々が一体となって眠っている精霊を揺さぶり起こし、儀礼の場を歌や踊りで“あたためる”ことが求められるのだ。この際のあたためるというのは、部屋の温度の高低を指さない。むしろ、光、音、匂い、煙によって、空間の密度を濃くしていくということだ。精霊が去ったあとの霊媒の体や、儀礼の場は“冷める”、と表現される。1人の霊媒には複数の精霊が降り、精霊にはそれぞれ名前があり、性があり、住処があり、気性にもそれぞれ特徴があるといわれている。アズマリは、精霊それぞれの特徴にあわせた旋律や歌詞を使い分けて演奏を行う。歌詞のなかで重要なのが、精霊たちの出身地と名前である。特に強大な力を宿した精霊の多くがゴンダール北部シメンや、ティグレイ地域ラヤの、人が住まない荒れ地に棲むとされるが、外国からやってくる者や、ゴンダールのすぐ南、青ナイルの源タナ湖界隈からやってくる者もいるという。

 አሁን ይህን ግዜ ስሜን ሁኖ ቢሆን
 もしも今シメンにいたのなら

 እንኳን ሠው ገብሡ ድንጌዉ በዘፈነ
 人だけでなく 石ころも歌い踊りはじめるだろう

 ゴンダールのある晩のザールで、シメン山脈から精霊をおびきよせるためにアズマリが歌った歌だ。シメンという場所は、人だけでなく、石ころも歌い踊り始めるぐらい楽しい場所であると歌い、精霊のごきげんをとるのだ。ザールでは同時に、カセットテープやラジオから聞かれるエチオピアのポピュラーミュージック、シェレラと呼ばれる類の戦場の戦士を鼓舞する内容の歌が歌われることもある。精霊によって好きな歌や歌詞が違う。それに対してアズマリは注意深く歌を歌い分ける。ゴンダールのザールに頻繁に登場する精霊にはブレンニョー(“荒野に住む者”)やセイフチャンガル(“剣のようにするどい鞭”)、イスラム教徒の女性とされるソフィア等が知られる。例えば、ブレンニョーを呼び寄せるにはこんな感じで歌う。

 በረኸኛው ወንዱ የበረሃው አገዳ
 ブレンニョー 勇敢な野性のリーダー

 ከተኮሰ አይስት ከማለ አይከዳ
 彼が撃つときは絶対獲物をのがさない 約束はやぶらない


 ザールに参加した筆者

 ザールにおけるアズマリのパフォーマンスには、儀礼の最初に行う独唱、儀礼の中盤にみられる霊媒による唄の伴奏、そして、霊媒から参加者に対して投げかけられる宣託/歌詞を一字一句反復する唱法がみられる。精霊が霊媒に憑依したことを示す兆候には、それぞれ、グリ、フッカラと呼ばれる2種類の行動と、隠語による会話があげられる。霊媒によってグリの様式は異なるが、地面に膝をつき、上半身を前後にはげしく揺する運動、上半身を旋回させる運動、肩や腕を小刻みに痙攣させる運動がある。霊媒はアズマリのマシンコ演奏と、太鼓(ディッビ、もしくはカバロと呼ばれる木製の半球型ドラム、牛の皮を張る)のリズムに合わせて、延々とグリを行う。フッカラは本来、戦場の兵士が戦の前後に自らの名や、武勲を大声で語る行為を意味する。憑依が始まった瞬間、精霊が霊媒をとおして、自身の名や出身地を叫び、そうして参加者たちに語りはじめるとされる。フッカラが始まると、参加者は喉を絞った裏声、エリルタで「ウルルルル……」と歓声を上げて応える。しかし精霊は優しい天使ではない。ザールのために準備されたモノが足りないと文句を言うこともある。

 ሰንደሉ አልመጣ ወይ ቡና አልመጣ
 お香が足りないじゃないか コーヒーも全然足りてない

 ወይ ጨንቛችሁ ይሁን የእውነቱን አውጣ
 お前たちは俺のことが怖くないのかい さあどうなのさ

 これは、嫌な恫喝だ。僕も含め、皆でがんばって精霊を呼び寄せ、“彼”が無事に霊媒に憑いたと思った瞬間、霊媒の肉体を通してお香もコーヒーも足りてないと精霊は叫ぶ。そして俺のことが怖くないか、と参加者に迫る、ときた。もちろん、この短い歌詞をそばにいるアズマリが丁寧に歌を通してリピートするのだ。精霊が発する言葉は、必ずしも上記の歌詞のように理路整然としておらず、一貫性がない。アズマリはマシンコの伴奏とともに、それらの言葉を一字一句間違えずに反復し、儀礼の参加者に厳かに伝える役割を担うのである。この場合、アズマリはほとんど精霊に従属する下僕(しもべ)のようである。下僕というならば、そうそう、精霊の召使い、ケダミの存在も忘れてはならだろう。彼/彼女らは、日常から霊媒につきそい、身辺の世話をする。ザールの直前に、床いっぱいに草を敷き、精霊が好むとされる羊の肝をちりばめ、念入りに儀礼の空間をセッティングする。なによりも、精霊から霊媒を通して矢継ぎ早に放たれる難解なことばを翻訳し、人々にわかりやすく伝える役目を担う。ケダミの存在なくして、人々と精霊のコミュニケーションは成り立たないのである。霊媒が憑依した後の“精霊の語り”については、通常のアムハラ語と異なる特有の隠語が用いられるが、これらの語の大半が、アムハラ語の変形である。ゴンダールの人々の会話に用いられるアムハラ語をもとに生成される語彙といえども、一般のアムハラ語話者には、ザール隠語の解読は難しい。そこで、ケダミがその語をわかりやすいアムハラ語に“翻訳”する。ザールの霊媒との関係が長いアズマリたちは、演奏と同時に、ケダミの役割をこなす器用な者も多く、しばしば驚かされる。


 参加者を祝福する霊媒

 ところで、ザールはエチオピア正教会の修道士からは、悪魔の宗教とみなされている。当教会の修道士の解釈によればザールの起源は以下のとおりである。

 神が12人の天使を創造したときのこと。暗闇がやってきて天使たちはとても不安になった。12人のうち、ダビロスという名の者がいた。彼は天使たちに「私がお前たちを創造したのだ、私についてきなさい」と言った。天使たちは「あなたがほんとうに創造主なら、人をつくって見せてください」と頼んだ。ダビロスは器用に人間の体をつくることはできたが、それらには魂がなかった。ダビロスをまったく信じなかった天使もいたが、幾人かはダビロスの言う言葉が本当か嘘かわからず、途方にくれていた。そんなとき、聖者ガブリエルがあらわれた。彼は「1日でいいので、心から礼拝し、ほんとうの神に対面してみなさい」と天使たちに提言する。天使たちがそのとおりにすると、神が現れた。黄金の椅子に座っていたダビロスは神が現れた瞬間、暗闇の世界に転がり落ちていった。ダビロスは悪魔となり、ザールを行い、この系譜は代々引き継がれていった。

 セーフチャンガル、ブレー、シャンキットゥ……人をまもりも殺しもする、気まぐれでいたずら好きの精霊たち。教会の修道士からは悪魔の宗教とレッテルをはられているザールであるが、ゴンダールの霊媒たちによれば、精霊の中には、教会に通い聖書を勉強する者もいるとのこと。また、熱心なイスラム教徒の精霊もいるらしい。実際のところ、ザールの場は、宗教的な規制やものさしから解き放たれた混沌とした空間である。参加者の宗教背景はばらばらであり、普段は顔をしかめてザールを否定するような敬虔なキリスト教徒や修道士までもが顔を出すことがある。キリスト教、イスラム教の祝詞が、交互に霊媒を通して飛び交ったり、イスラム教徒の霊媒がキリスト教徒の服装をまとったりする。嫁・姑間のいざこざから、子供を授かる祈願、無くしものの相談……人々はそれぞれが抱え込む相談事をはき出していく。あ、そうそう、贈与の約束(シラット)を精霊に対して行うことも忘れてはならない。儀礼の開催を依頼したクライアント(アスファラジ)は御礼として衣服、指輪、香水、家畜等を精霊に贈る約束をするのだ。
 精霊たちと人々の豊かなやりとり。喜劇、悲劇が混沌と共振する人生劇場を前に、参加者たちは一喜一憂する。人々はアズマリの演奏にあわせて歌い踊り、精霊たちが荒野の棲家に帰るまで、夜通し戯れるのである。

映画『精霊の馬』(監督:川瀬慈、2012年)

  • 参考文献
  • Kawase, I. 2012. The Azmari Performance During Zar Ceremonies in Northern Gondär, Ethiopia-Challenges and Prospects for the Documentation-, CULTURES SONORES D'AFRIQUE ⅴ, publié sous la direction de Junzo Kawada, Institut de Recherches sur les Cultures Populaires du Japon, Universite Kanagawa, Yokohama. pp 65-80.
  • 川瀬慈 2017「映像がとらえる儀礼と音楽-エチオピアのザール憑依儀礼と楽師アズマリを事例 に」『文化遺産と生きる』飯田卓編、臨川書店 pp 163-183.
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